狭くなった世界が、人生にもたらす深さ

例えばアメリカの大統領が感じている「世界」はとてつもなく広いことだろう。 自分専用の超豪華なジャンボジェット機を乗り回し、世界中の首脳と対等以上の立場で渡り合い、世界中で自分を知らない人はなく、個人的な世界だけでなく、身の回りも、自国も、さらには世界全体までもが意のままに手中にあるのだから、「この地球上すべてが自分の世界だ」と感じているに違いない。

 

それに比べていまの私の世界の狭さを思うと、大宇宙の中で自分だけが取り残された小さな塵のように思えて、考えるだけでバカバカしくなる。 実際のところ、気づかないうちに自分の世界は随分と狭くなってきた。 大きな節目となったのは、やはり退職である。 私の場合、それを二段階で経験した。 最初は会社員としての退職だった。

 

会社員とは、基本的に毎日出社し、同僚と顔を合わせ、さまざまなコミュニケーションを取りながら取引先や顧客と折衝する。 つまり、日々が多くの人間との関わり合いの世界になる。 もちろん、最近流行りの在宅勤務や開発エンジニアのように、ぐっと世界が狭くなる働き方もあるが、それでも日々の変化はある。

 

また会社に通勤をするだけでも、たくさんの人々とすれ違い、世の中の息づかいや動向を肌で感じ取ることができる。 それも自分の世界を構成する大きな要因だった。 さらに、会社に通勤し、そこに同僚がいるからこそ、仕事を離れた交流の機会も生まれる。 会社帰りの赤提灯は昔からの定番コースだ。 あの頃はそれが当たり前で、特別なこととは思わなかったが、今振り返れば、仕事という面だけで見ても、私は今よりかなり広い世界で生きていたのだと思う。

 

次の節目は、十数年前に会社員を辞めて個人事業を立ち上げたときだった。 個人であろうと会社であろうと、取引先や顧客がいるのは同じだが、決定的に違うのは、通勤がないことと同僚がいないことだ。 基本的に自宅に留まり、独りで仕事をすることになる。 会社員時代と比べると、接する人は格段に少なくなり、その意味で世界はぐっと狭くなった。

 

しかしその代わり、今までなかった「動く」世界を体験することになった。 そこで私の世界を形づくることになったのは、時折会う顧客と、全国各地の現場へ向かう往復の自動車運転の旅だった。 北は北海道から南は九州まで走り回るなど、会社員時代にはできなかったことだ。 私は元来、車で走り回るのが大好きだったので、願ってもないことだった。 ひとつの職場に縛られず、『男はつらいよ』の寅さんが全国を行商して回るような解放感を、思いきり味わった。

 

ただ、いくら走り回っても、「人間」という相手がいない世界には閉塞感があった。 やはり世界の広さというのは物理的・地理的な広がりよりも、人間関係によってつくられるものの方がはるかに大きいと感じた。

 

そして次の節目が、現役からの引退だった。 仕事で接する人がいなくなり、いつもと同じ家族と友人としか会わなくなった。 これは激変だった。 もう新たな世界を描く必要はなくなり、スケッチブックは不要となった。 身の周りを描いた絵をラミネートして下敷きにして置けばよい ―― そんな感覚だ。 常に新しい絵を描き足し、ページをめくっていた日々こそが「胸ときめく呼吸の時」だったのだと、失ってみて初めて知った。

 

しかし、世界は狭くなったが、今は今まで見えなかった大切なものが私の心を捉え、「精神世界」と言う新しい領域へ誘ってくれた。 これまで馴染みのなかった、光輝く世界だ。

 

遠ざかった社会活動で触れ合っていた多くの人たちと入れ替わるように、さまざまな新たな出逢いが生まれた。 ぐっと身近になった家族と友人、散歩道で立ち寄る神社や寺と地蔵、正面から吸い込むように受け止める朝陽の光、そして自分に立ち向かう「書く」という行為。 これらすべてが、私の心の中に「精神世界」を構築してくれている。

 

今まで一瞥もくれず見過ごしていた景色が、これほど多くの真理を語っていたのかと気づくにつれ、自分の歩いて来た足跡がくっきりと浮き上がってくる。  それは私にしか見えない空想上の世界なのかもしれない。 だが、それが「生きてきてよかったと」思える、私という命の痕跡だ。

 

今、私を取り巻く世界は狭くなった。 しかし、それに呼応するように世界の質が大きく変わった。 会社員時代の世界は「広さ」が卓越していた。 個人事業時代の世界は「移動」がつくってくれていた。 そして今の世界は「深さ」が精神を充足してくれる。

 

大きくも広くもない。 だが、深い世界が最後に待っていた。 思いもよらない新しい体験が、私を待っていた。

 

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