「わくわく感」の変容 ― 未来への伸びしろから、今の深さへ

JR九州とnoteのコラボ企画「#わくわくする瞬間」の作品募集のお知らせを見たとき、胸の奥から懐かしい感情がふっと込み上げてきた。 「そうだ、昔はいつもそんな気持ちで満たされていた」という思いと、「あの感覚は、今どこにいってしまったのだろう」という思い。 そのテーマは、すっかり穏やかな日々を暮らすようになった私にとって、はっと目を覚まさせるものだった。

 

どう考えても、今の自分が「わくわくする瞬間」を思い描くことができない。 可愛い孫たちを見ていると胸は躍り、幸せに満たされる。 だが、それは「わくわく」とは少し違う。 最近関心を持っている精神世界や哲学の探求は、未来を切り開くというよりは、過ぎ去った時間も含め「いま」を穏やかに見つめ直すものだ。

 

「わくわく」とは、未来に無限の伸びしろを感じ、そこに希望が乗った瞬間に生まれるものだ。 たとえそれが嘘でも、空振りに終わっても構わない。 人を突き動かすエネルギーがあるということは、その人がまだ細胞分裂を繰り返し、増殖の途上にあることを示している。

 

かつての私の増殖力は強大で、細胞分裂のスピードだけは胸を張って誇れた。 だから「わくわくしていた瞬間」なら、いくらでも想い出せる。 しかしそれはもう、過ぎし日の単なる思い出の世界の話だ。 心躍った瞬間を、どこに忘れてきてしまったのだろう。

 

忘れられない「わくわく」との出逢いは、高校一年のある日。 学校の屋上にあったアマチュア無線部の部室の前を通り過ぎようとしたとき、無線機から流れてきた遠いアメリカの元気な英語の声が耳に飛び込んできた。 夢中で部室に飛び込み、その場で「入部させてください!」と叫んだあの瞬間の胸の高鳴りは、今も忘れない。

 

その後自分でアマチュア無線局を開設し、憧れのアメリカ人との交信に明け暮れた青春時代。 スペインで初めてラテン文化という別世界を知った衝撃。 夜な夜な星空を見上げ、天体観測に夢中になって大宇宙に思いを馳せた日々。 現役時代の最後に会社を立ち上げ、それまで培った技術を活かして唯一無二の撮影システムを開発した日々。 枚挙にいとまのない思い出ばかりだ。

 

かつて自分に溢れていた「わくわく感」は、外へ向かって発散するエネルギーだった。 しかし、歳とともに人生に伸びしろがだんだん減ってくるにつれ、そうしたエネルギーも収まってくる。 現役からの引退など、自分の人生に達成感を覚えるようになると、その速度はさらに速まる。

 

いま自分の内側に満ちているのは、静かに深く沈んでいくようなエネルギーの集束感だ。 これまでの人生では見えなかったものを見出す、内なる旅のようでもある。

 

その旅は、意図せず突然始まった。 そのきっかけは半年前に始めたエッセイ執筆だった。 それは私が生まれて初めて経験した「自分と向かい合う機会」となった。 書きかけのエッセイを前に、しばし記憶の糸をたどり、忘れていたたくさんの足跡を思い出すと、「いま自分はどこで何をしているのだろう」という問いが生まれる。 それまでも、走り続けていた頃に比べれば周りに目が届き、素直に反省を重ねるようにはなっていたが、自分が辿って来た道を深く考察をするようになったのは、エッセイの力だった。

 

私が決めたエッセイのコンセプトは、ひとことで言えば「人生を謳歌して脱線を繰り返した男の反省記」。 結果的に「自分を追い詰める」日々が始まった。 そして時間が経つにつれ、自分自身に変化を感じるようになった。 周りの人達を見る目が優しく温かくなり、物事に対する欲望が穏やかになった気がする。 日々の決め事をきちんと継続していると、いつの間にか神仏の世界がとても居心地よく感じられるようになってきた。

 

いま内に向かって未知の何かを探っている自分の姿は、過ぎし日の「わくわく感」を追い求めていた自分と重なっているのかもしれない。 ただ、向いている方向が変わっただけなのかもしれない。 世の中に求めていた自分が、今は自分の内側に求めようとしている。

 

「世界の仕組み」を解き明かす科学の世界に憧れて生きて来た私が、いまは「世界をどう生きるか」を問う哲学を探求しようとしている。 今まで「生きて来た」私にとっては、「どう生きるべきであったか」という、静かな問いの時間だ。 形ある物質世界を生きてきた私が、いまは形のない精神世界を生きようとしている。

 

未来への「伸びしろ」に生まれたわくわく感は、今の自分が到達した「深さ」へと変わり、私にまだ生きようとするエネルギーを与えてくれている。 わくわくの形は変わったけれど、いまの自分を動かす力になっている。 何かが始まるわけでも、未来が大きく開けるわけでもない。 ただ自分の歩いて来た足跡を振り返り、すべてをそのまま受け入れ、同じ歩調で一歩一歩を謙虚に歩いていきたいと感じるようになった。

 

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