性癖がつくる人生 ― 選択の源にあるもの

過去を振り返り、「あの時あんなことをしなかったら、その後の人生は変わったものになっていたに違いない。」と思う事はないだろうか。 しかし、もしあの時の選択をやり直せたとしたら、人生は本当に変わっていただろうか。

 

人生が選択の連続である事は、誰もが体験し、実感しているはずだ。 学生時代からその連鎖は始まり、それは一生続く。 特に大きな選択は成人してからで、恋愛・結婚・就職に始まり、仕事の場面での決断が続いて行く。

 

私が人生で学んだことに、そのような選択を決定づけたのはその人の性癖だということがある。 私がここで言う「性癖」とは、俗な意味ではなく、人が生まれながらに持つ「選択の癖」のようなものだ。  気質や価値観、行動の傾向といった、その人の人生の流れを決める深いところにある性質を指している。

 

私は時々、夜中に目が覚めて眠れなくなることがある。 そんな時、決まって若かった頃のことを思い出す。 それも、勤めていた会社での出来事ばかりだ。 「あの時の自分の選択は正しかったのか」と考えることが多い。 楽しい想い出もたくさんあるはずなのに、なぜか思い浮かぶのは嫌な記憶ばかりで、まるで自分の人生を否定するかのようだ。

 

30代の半ばに上司と大喧嘩した時のことをよく想い出す。 あの時の私は自信を持ってぶつかった。 そしてその後もそれを後悔した事はなかった。 その喧嘩が原因で出世コースから外れることになったが、転勤した後にその上司と顔を合わす機会があっても、私はその出来事に後悔はしていなかったので気持ち良く挨拶をしていた。 上司は困ったような表情を浮かべ、立場のなさが見て取れたのを覚えている。

 

「あの時、喧嘩さえしなかったら・・・」と言う思いが初めて胸をよぎるようになったのは、その会社を退職して二十年以上も経った最近のことだ。 過去が遠いものになり、その時の私の選択に影響を与えた私の考えや価値観、そこに至るまでの背景などが記憶の外で薄れ、「選択」という事実一点だけに焦点を当てて考えるようになった結果だと思う。

 

「もしあの時違う選択をしていたら、自分の人生にはもっと楽しい結果が待っていたのではないか」と一瞬考えてしまうのだ。 違う選択によって「人生をより良く変えられたのではないか」と欲目に過去を振り返ってしまうのだ。

 

しかし、今の私が自分の人生を振り返ってみると、数えきれない数の選択のすべては同じ色をしていることに気づく。 人生は無数の選択の連続だが、その時々の選択はバラバラの色ではなく、同じ人間の選択であることを示している。 そして選択は一本の川の流れのように「自分らしさ」を形づくっている。

 

つまり、ある選択をした人は、その後の選択の連鎖の中の似たような場面に直面すると、やはり同じような選択を繰り返してしまうのだ。 選択は必ずしもその時の知恵や決断で決まるものではなく、その人が生まれ持った性癖によるところが大きい。 その性癖こそが一本の川の源流となり、自分らしさを生み出している。

 

一度や二度なら、その時に頭に去来した知恵や決断によって別の色の選択をすることもあるかもしれない。 しかしその後に続くどこかの選択で、きっと「自分の性癖」が生んだ川の流れに戻って行くだろう。 自分が持って生まれた性癖から生じている流れは変えようがないのだ。 だから自分の過去を否定する必要もないのだ。

 

良きも悪きも、その選択から続いた数々の決断のおかげで今の自分が存在している。 今の自分を作ったのは自分の性癖が導いた結果なのだから、過去のすべての選択は自分の財産だ。

 

人生の選択は、いつも同じ色をしていた。 後悔ではなく、性癖としての自分を見つめ直すことで、新しい世界が見えてくる。 唯一無二の自分の歩いて来た自分らしい道を誇らしく思いたい。

 

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