スマホが目覚めさせた、眠れるフォトグラファーたち

スマートフォンの先駆けであるiPhoneが登場したのは2007年だった。 それから十数年、早くも2010年代の後半にはスマホは当たり前の存在になっていた。 今では世界人口の80%以上が所有しているという統計もある。 世界人口82億人のうち、65億人以上がスマホを手にしているという計算だ。

 

スマホはITの世界に革命をもたらし、コンピューターを手のひらに収める時代を開いた。 その機能は年々進化し、特にここ10年の進歩は目を見張るものがある。 なかでも私が注目してきたのが「カメラ機能」だ。

 

スマホは誰もが日常的に写真撮影を楽しむ時代をつくった。 行事やイベントの記録、旅先の風景、犬や猫、鳥などの動物、花や木々、自然現象、さらには事故や事件の記録まで、撮影対象は無限に広がっている。

 

多くの人が画面を見て二本の指でピンチ操作をしてズームで画角を決めてシャッターボタンを押して撮影をする。 何の気なしにズームしているが、高級なデジタル・カメラではレンズその物で倍率を変化せるので、大掛かりで高価なものになる。 スマホでは誰でもポンと簡単に素晴らしい写真の撮影ができる。

 

こういった手軽に写真が撮れるようになると、SNSなどで数えきれないほどの画像が飛び交うことになった。 ニュース性や面白さなどを求めた画像で溢れ、撮る方も見る方も「昔のように写真一枚一枚に真剣に向き合ってつくられた作品」との境界線を感じにくくなったような気がする。 その結果、プロのフォトグラファーは従来以上の努力が求められるようになった。

 

一方で、スマホの持つ手軽さが、特に写真に深い興味がない人の中に埋もれた素晴らしいセンスを持った「フォトグラファー」を誕生させることになった。

 

私が最初に「陰のフォトグラファーが身近にいた」と気づかされたのは、娘の撮った写真だった。 春の朝、陽ざしを正面から浴びながら、私は二人の孫と手をつなぎ、幸せそうにおどけて近所の道を歩いている一枚だ。 登場人物が私自身と孫であることとは関係なく、その写真に私は目を奪われた。

 

あどけない顔をした孫たちはそれぞれ幸せそうに眼を輝かせ、私は手をつなぎながら孫たちと一緒に童心に帰って身体を左右に傾けながら歩いている様子が平和な時間を感じさせた。 楽しげな空気があふれ、まるで童謡が聞こえてくるような軽やかな躍動感があった。

 

今のスマホは品質が高く、「パッと見」ではプロ用の一眼レフカメラで撮った写真と区別がつかない。 だが私の心を動かしたのは技術的なクォリティではなかった。 娘が持っていた「フォトグラファーとしての眼」だった。 芸術的才能が特別あると思ったことはなかっただけに、その発見は驚きでもあった。

 

それ以来、彼女が家族で共有しているネット・アルバム「みてね!」にアップする写真をていねいに見るようになった。 どれも自然体で、ナイスショットが多い。 控えめでごく普通の女性である彼女は、自分の才能にまったく気づいていないだろう。

 

私は人生最後の現役時代をプロのフォトグラファーとして過ごしたが、写真撮影で一番大切な入り口は「対象からフレームを切り出す眼」だと思っている。 スマホのズーム機能には制約もあるが、それでも自分の狙った構図を選び取る自由度は十分にある。

 

そして次に重要なのが「シャッターを切るタイミング」だ。 優れたタイミングとは、頭の中で描いたフレームの中に、すでに完成した絵が描けていることを意味する。 娘の写真には、その感覚がしっかりと宿っていた。

 

彼女は勤労主婦であり、写真を本格的に追求することはないだろう。 それでも、日常の中から、スマホのおかげで素晴らしい「フォトグラファー」が生まれたということは、とても素晴らしいと思った。

 

たまたま身近にいた娘にそんな姿を見出したのだから、世の中にはたくさんの素晴らしい「フォトグラファー」が誕生しているはずだ。 スマホは「フォトグラファー」というタイトルを、プロだけのものからすべての人のものに変えた。

 

スマホが光を当てる陰の才能は、これからも私たちの目の前の映像世界を豊かに彩ってくれるに違いない。

 

コメントする