急ぐ夜明けの向こうへ

学生時代の若かった頃、夜遊びに胸をときめかせた。 周りの大人たちが一日の役目を終えて家路についたり、夜の街で笑って過ごしていたり、家でくつろいでいたりする。 昼間の緊張感がすっと消えた後に訪れる夜の世界は、学生の自分たちにとって特別な時間帯だった。 夜には無限の時間があるように思えて、そこがとても自由な世界に感じられた。

 

社会人となってからも、夜は活動する時間だった。 寝ることにはあまり興味がなく、何時に寝ても、睡眠が短くても、若くて元気いっぱいの身体はいつも快調だった。 夜中の2時に帰宅しても、そこから風呂に入り、さらに1時間は趣味に没頭する。 睡眠が23時間ということもよくあった。 通勤電車は始発駅で乗れたので、必ず車両の端に寄りかかれる席に座り、1時間近く爆睡して補ったものだ。

 

今は現役を退き、一日の中で何かに拘束されることはほとんどない。 それでも、自らやりたいことを作り出し、自らを拘束している。 古希をとうに過ぎたというのに、いまだに静かな眠りを楽しむことはない。 布団に入り、眠気が襲ってきて、朦朧として寝入るまでの瞬間は好きなのだが、その後は起きたいと思う時間が始まる。

 

夜中に目が覚めて、まだ日付が変わる前だったりすると、「ああ、まだたくさん寝られる」と喜ぶ人もいるようだ。 だが私は「なんだ、まだかよ」とがっかりする。 起きたくて、起きたくて仕方がない。 寝るのは死んだらいくらでもできる。 生きている間は、寝ている時間に活動を止めるのがもったいない。 やりたいことが無尽蔵にあるのだ。

 

医学的には、寝て身体を休めなければ健康と生命を維持できないことはわかっている。 だから私は、健康と生命を維持できるギリギリのところで済ませようと考えてきた。 無理をしても大病もなくここまで生きてこられたのだから、健康で強靭な身体に産んでくれた親には本当に感謝している。

 

夜中に目が覚めても、トイレさえ済ませれば78時間は誰でも寝られるはずだ。 だが私は、かなり疲労がたまっている時でも45時間で覚醒してしまうことが多い。 「お、朝だ!あれとあれをやりたい!」と考えると、もう我慢できず、寝るのをあきらめて起きてしまう。

 

昼間の時間も経つのが早すぎる。 昨年の4月に十数年間力を注いできた事業を閉鎖して私は仕事の世界から足を洗った。 夢中になって打ち込んで来た事業に大きな達成感を感じていたことと、一度請け負うと1年も2年も責任が継続する仕事に体力的にも不安になってきたことがあって、引退を決意した。

 

仕事が無くなって、何かをしなければいけないと言うことはないはずなのだが、何もする事がないなんていう人生には耐えきれなかった。 3ヶ月ほど朦朧とした時を過ごした。 事業を立ち上げて、人生で初めて自分のすべてをかけて仕事に向き合うようになり、趣味もすべて捨ててしまった後の引退だったので、何もすることがなくなってしまった。 突然することを失った私は、いったい何をしたらよいのか彷徨っていた。

 

そこで出会ったのがエッセイの執筆だった。 仕事ではないが、私にとっては趣味でもない。 これは私が自分の人生に決着をつける場だった。 過去の過ちに向き合い、それをさらけ出すことで自分自身に決着をつけたかった。 そしてそれができるのは今しかなく、それがやめた仕事に続く私の人生のタスクだと思ったのだ。 今は寝ても覚めても、自分に立ち向かい、それを書き下ろす事ばかり考えている。

 

私はとにかく走り続けたいのだ。 走らないと不安なのだ。 わき目も振らず、ひたすら走り続けたい。 もしこの性分を仕事だけに向けていたなら、私の人生は大きく変わっていたと確信する。 もしかしたら、それなりの業を成していたかもしれない。

 

やりたいことが尽きないかぎり、私は走り続ける。 夜明けを急ぐのは、まだ見たい景色があるからだ。 古希を過ぎてもなお、人生は忙しくて、面白くて、止まっていられない。

 

急ぐ夜明けの向こうに、まだ私の物語がある。

物語の続きを、今日も私は書いている。

 

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