想い出はいつもタイムラプスの世界で描かれる

私は現役最後の10数年間を、タイムラプス・フォトグラファーとして活動して来た。 私がタイムラプス撮影を始めた頃は、まだ日本ではほとんど知られていなかった大変めずらしい映像技術だった。 それを自分の最後の仕事として取り組む事になったきっかけは、映像撮影対象に事欠かない風光明媚なフィジーで暮らしていた事、そして同じ天文ファンとして以前から交流をしていた、韓国でタイムラプス撮影機材の製作会社を経営していた韓国人社長に強く勧められた事だった。

 

写真そのものは永年趣味として手掛けて来ていたし、その韓国人社長とは同じ天文ファンとして天体写真の撮影を楽しんでいた。 韓国ではその社長のおかげもあって、既にタイムラプスがプロの写真家やTV放送局の間には広く広まっていた。 そこで、タイムラプスに関しては全く未開であった当時の日本で広まらない訳はないと言って私を鼓舞してくれたのだ。

 

タイムラプスは、今では一部のスマホのカメラ機能にも基本的な機能が搭載されているので、多くの方がご存知だと思う。 この10数年間はタイムラプスが爆発的に広まった変革の時代となった。

 

 タイムラプスの撮影は、カメラを全く動かないように固定して、一定の時間毎に1枚ずつ写真を撮影して、撮影期間によっては数万枚もの写真を撮影する。

 

そもそも普通の動画(ビデオ)は常に1秒間に30コマ(枚)の写真の連続である。 逆算すると、常に1/30秒間に1コマ撮影されたものだ。 1/30秒毎に撮影されたものを、毎秒30コマの速さで表示すれば、実際と同じ速さに見えると言う理屈だ。

 

一方タイムラプスは、例えば1秒間に1コマ(枚)ずつ撮影した写真をずらっと並べて順番に動画として再生する。 1秒毎に撮影されたものを、毎秒30コマの速さで表示すれば、1秒間の長さの動画が実際は30秒(1X30コマ)経過した30倍速に見える事になる。

 

撮影間隔を1秒以上に長くすれば、それ以上の猛スピードで時間(=TIME)が経過(=LAPSE)する動画になると言う訳だ。

 

これが「タイプラプス動画が早送り動画になっている」仕組みだ。 従って、空を流れる雲の動きだとか、日の出・日没時の太陽の動きだとか、四季の風景の変化とか、建設工事の着工から竣工までの様子とか、様々な動画撮影に生かされている。

 

この「~秒おき」と言う撮影間隔を「インターバル時間」と呼ぶ。 この「インターバル時間」の調整によって時間の経過速度を自在に速めて表現できるのがタイムラプスの最も基本的な力である。

 

 しかしこの早送り動画になっていると言う時間経過速度だけを以ってタイムラプスを語る事は決してできない。

 

ビデオには絶対真似できないのが星空撮影だ。 特に淡い銀河(天の川)の撮影は撮影対象が大変暗いので、どんなに機材の感度を上げても数秒から20秒近く露出をかけないと綺麗には撮影できない。 ビデオは一秒間に30枚撮影するので、一コマの露出時間は常に1/30秒しか与えられない。 普通銀河のタイムラプス撮影をする時は10数秒程度の露出を与えて撮影する。 インターバル時間(シャッターを切り始める時間の間隔)をその露出時間以上にとればタイムラプスの撮影が可能になる。 まさにタイムラプスの独壇場なのである。

 

また動きのある対象をスローシャッターでわざとブレさせて、それを連続撮影して特殊な効果を出す事も可能だ。

 

この自由な「露出時間」によってタイムラプスにしかできない映像を表現できるのがタイムラプスのもう一つの力である。

  

(4分近い青ヶ島での作品。後半に銀河映像が続く。)

 

 タイムラプス撮影者は、動画を撮影していると言う意識より、あくまでもひとコマひとコマの写真を撮影しようと意識して技術の粋を尽くしている。 撮影後の画像処理も一枚ごとに精緻な画質調整などの画像処理を施す。 例えば130コマの動画にするとしたら、その30コマの中で連続的に任意のカーブで滑らかに調整要素やその調整度合を変化させる事もできる。 

 

このような総合力で、ビデオとは全く次元の異なる芸術作品を生み出す事ができる。 そこにタイムラプスが世界中で支持され親しまれている理由がある。

 

日本のタイムラプスの黎明期の頃、すなわち私が活動を始めてまだ数年しか経っていなかった頃、一緒に同じ現場でビデオ撮影をしていた他社のビデオカメラマンが吐き捨てるように言った言葉を今でも忘れない。 「タイムラプスなんて、俺たちが撮っているビデオを早回しにすればいいだけじゃねぇか。」 その時代はプロのカメラマンですら、タイムラプスにはその程度の知見しかなかったのだ。

  

さて、私達の頭の中に「自分の人生の想い出」と言う映像を描いてみたとしたら、それは多くの場合、次々に浮かんでは流れて行く写真(静止画像)の連続ではないだろうか。 「走馬灯のように」と言う表現があるが、過去の時間の経過と共に、想い出が次々に写真として記憶の中に「現れては消え」して流れて行く。

 

リアルタイムにその場の様子を描くビデオ映像ではなく、自分の今まで生きて来たたくさんの時間の経過の中に、次々に浮かんでは消えて行く写真(静止画像)が作るタイムラプスの世界だ。

 

記憶に思い浮かぶある場所や人は、不思議といつも静止画像だ。 楽しかった時、幸せだった時、辛かった時、苦しかった時、全ては多くの場合静止画像でよみがえる。 それらが「パラパラ漫画」のようにめくられて、記憶の世界で時が流れている。

 

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