何の為に働いて来たか、引退後はどう生きるか

有史以前の原始時代の人々を想像してみると、牛や馬、森の動物たちと同じように、まず食べる事に専念し、その為に一日を過ごしていたに違いない。 生きて行く為にすべての生き物が行っている行為だ。 食べ物を探す事が、人類が経験した最初の仕事だったに違いない。

 

その食べ物も、木の実を食べている内は素手で用は足りるが、肉や魚を食べるには最低源の狩猟用具が必要なので、それを作る仕事が始まる。 狩猟ができれば皮をはいで衣類を作る事が可能になるだろう。 また夜は寝なくてはいけないのでなんらかの寝場所を作らなければならない。 だから住まいづくりも重要な仕事になったに違いない。 つまり「衣・食・住」を実現するための作業が人類最初の仕事であったのだろう。

 

例え原始的なレベルであっても、衣食住が足りて人間は色々な欲望を発揮し始める。 色々な欲望があるが、つまる所「支配欲」に尽きる。 強い支配者が世界各地で歴史を作って来た。 その為に宗教も生まれた。 こんな段階から始まった原始的欲求をいまだに堂々と振り回している政治的支配者が世界にはたくさんいる。 そればかりでなく社会を構成している国民自体その多くもそれぞれの立場、それぞれの社会で小さな支配欲を心に秘めてそれなりにチャンスを狙いながら生きている。

 

こうして長い歴史を経て現代の社会にたどり着いたのであるが、その中で社会構造は分業化され、近代化された高度な社会生活を支える為に、仕事の種類も位置づけも人によって異なる多様な姿に変化して来た。

 

今やお金が物を言う世界で、お金がなければ何もできない。 山籠りして自給自足の原子生活に戻らない限り、生きる為にお金を稼がなければならない。 我々は「生きる為のお金を得る為」に仕事をしている。 これが仕事をする第一番の目的だ。

 

 

お金とは労働に応じて対価として得られるものなので、お金を手にすると言う事は誰かの労働(仕事)と自分の労働(仕事)を交換したものと言える。 だから昔の人はお金を尊いと良く口にしていた。 お金を無駄にすると言う事は自分の労働(仕事)を無駄にドブに捨てると言う事だ。

 

資本主義の世の中では成功した人たちは多額の富を得る。 中には生まれた時から親の巨額の財産のお陰で豊かで苦労のない生活を送っている人もいる。 ならばそういう人たちは遊び暮らしているかと言えば、全ての人がそうではない。

 

何らかの支援事業とか慈善事業とかを始めて社会の為に尽くしている人もいる。 お金が有って何一つ不自由のない生活が保障されていても、人間には「社会人として役割を果たしていると言う安心感と満足感」が必要だ。 これがもうひとつの目的だ。

 

私は現役を退いた後の離脱感がとても大きくてしばらく苦しんだ。 仕事はお金の為だけではなかったのだと痛感した。

 

古希を迎える頃には、多くの人が現役から引退する。 現役を退いた後はこの二つの目的は過去の物となってしまう。 突然、目の前から目的が消えてしまうのだ。 何を目指したら良いのか分からなくなって、多くの人が戸惑ってしまう。 これが高齢者の誰でも直面する課題だ。

 

この気持ちはまだ現役バリバリの若い人達には恐らく分からない事だろうと思う。 私も若い時にそんな話を聞いたって、「何たわごと言ってるのかな?」くらいの気持ちしか持たなかったと思う。

 

二つの目的があってそれに向かって生きて来たからこそ、今その成果として自由人となった自分がいる。 だからこれからは、誰しもが持っている「人生を楽しく生きたい」と言う願いを享受する時なのだ。

「少しでも生きがいを実現する事」が最後に目指す終着駅なのだ。

 

これからは、お金は年金と貯蓄の範囲でやりくりして行き、社会とのつながりが欲しいならボランティアなど何らかの人の役に立てる活動を見つけて過ごせば良い。 そしてその中でささやかな楽しみを見つけ、生きがいとして大切にして暮らして行ければ言う事はない。

 

私も現役引退して調度半年になるが、正直なところ、かなりさ迷った。 働く事は選択肢になかったので、ボランティアを考えたり新たな趣味を考えたりしたが、何か今の自分の気持ちに噛み合わなかった。

 

これだ!と言う正解が見えないまま悶々とする日々が続き、私なりに随分考えた。 そんな中で「これからは、もう目的は忘れていいのだ」と考えた時、違う世界が見えて来た。

 

今までの人生があまりにも目的に支配されていたのだ。 難しく考えないで、「何か自分が夢中になれるもの」を見つければ良いと思うようになった。

 

ご参考に、それで私が何を見つけたかお話して置こうと思う。

 

一つは朝の散歩+ゴミ拾い+神社参拝だ。 心も身体もリフレッシュして一日が始まる。 ゴミ拾いも、神様への感謝の参拝も、過去を省みる気持ちが私を突き動かしている。

 

もうひとつは、今やっている執筆活動だ。 普通のエッセイだけでなく、自分の経験を活かせる他の分野での活動も予定している。 何の為にとかは考えていない。 ただ「自分が夢中になれるから」、理由はそれだけで十分だ。

 

横で心配そうに私の様子を見ていた妻が、最近私の日々の生きる姿勢が随分前向きに生き生きとして来たと言う。 確かに、以前の様に地に足が付いた感じがして来た。

 

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