「俺も若い時はそうだったなぁ」

静かな住宅街を若者が乗ったバイクが「バリバリバリバリ~」と爆音を立てて足り去って行った。 私は思わず「あ~公徳心がないなぁ」とつぶやく。 そして続いて「俺も若い時はそうだったなぁ」とつぶやく。

 

自分も、18歳で免許を取ってすぐに買った中古の原付バイクのマフラーから芯を抜いて、わざとバリバリ音を立てて走っていた。 心理的には大人になりたい、自分を認めてもらいたい、誇示したいと言う様な気持ちがそうさせたのだと思う。

 

毎朝、道端に投げ捨てられた無数のタバコの吸い殻を拾う度に同じ言葉が出る。 「あ~公徳心がないなぁ」「俺も若い時はそうだったなぁ」が必ず2つセットになって。 通勤路のタバコの吸い殻を全て拾っても3日後に訪れると全く同じように一杯捨てられている。 時には一か所にまとめて2,30本同じ銘柄のタバコが捨てられている事もある。 明らかに車の灰皿か何かをひっくり返したのだろう。 先日は、飲み物の自販機の横にスタンド型の立派な灰皿が置かれているのに、わざわざその数十センチ前の道路に数本吸い殻が捨てられていた。

 

また、2階建てのアパートなどのちょっとした集合住宅の入り口付近の前の道路には、良く10数本もの吸い殻が捨てられている事がある。 毎日通るたびに全部拾っているのだが翌日も捨てられている。 そこの住人は家の中で吸えないので毎晩外に出てここでタバコを吸っているのだろう。

 

毎日吸って吸い殻を捨てていて、翌日はその吸い殻が無くなっているのを見て誰かが掃除しているのを分かっていても、また平気で捨てている訳だ。 何でだろうと情けなくなるのだが、やはり2つの言葉がセットで出て来る。

 

私達老夫婦が腰をかがめて道端のゴミを拾ってる前を、無理矢理にスレスレをかすめるように割り込んで、凄い勢いで若者の乗った自転車が路地を曲がって行った。 「危ない!」 ぶつかるかと思って思わず身を引いた。 それを知らん顔して耳にイヤホンを挿して音楽を聴きながら走り去って行った。

 

分からなくはない。 あの頃の自分だったら「なんだよこの糞じじぃと糞ばばぁ! 邪魔なんだよ。 カッコつけてんじゃねぇよ!」と思ったに違いない。 そうは言っても本当に危なかったので、一呼吸置いて怒りがこみ上げて来た。 しかし続いて2つの言葉がセットで出て来て気持ちが収まる。

 

私は、若い時に何言われても絶対に通じなかった事がたくさんあったと思う。 別に自分に自信があった訳ではないし、自分はいつも正しい事をしていると信じている訳でもなかった。 「自分の事しか考えていなかった」からだと思う。

 

しかし最近になって、こんな事が振り返られるようになったと言う事は、多少は成長したのかもしれない。

 

ビジュアルに表現すると、一生かけてアルプスの山を登っているようなもので、若い内には足元と目の前の山肌しか見えない。 それが少しずつ登って行き、森林帯を抜けだんだん周りが明るくなって行く。 7合目8合目あたりまで登ると、周りは草と岩だけになっている。 

 

そこまで来ると突然下界が見渡せるようになる。 更に登ればもっと遠くまで見えて来る。 見下ろして山裾が見えて来るようになると、そこに残されている「やって良かった事」、「やって悪かった事」の跡が見えて来る。

 

若者を見ていると、情けなく思ったり、何やってるんだと思ったり、理解に苦しむ事に度々出会う。 ちょっと前の自分だったら、失望したり腹を立てたりしていたと思うが、今は滅多にそんな事はない。 彼らの行動の多くは理解してあげられる。

 

「俺も若い時はそうだった」からだ。

 

 

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