四十年越しの友情

もう数年前の話になるが、突然、マルシアルという、四十年前にスペインの大学の学生寮で生活を共にした友人からメールが飛び込んできた。

 

そのメールは、私に一肌脱いでもらえないかという依頼だった。

四十年ぶりだというのに何事かと驚きつつ読み進めると、状況が次第に分かってきた。

 

彼は、スペインで大変有名な歴史上の将軍の親戚だった。

その将軍の名は、アルベルト・カストロ・ヒローナ。

1909年から1926年まで反乱状態にあったスペイン領モロッコの一部を鎮圧した、非常に重要な人物である。

 

実は1940年、当時の将軍フランコの命により、通商と軍事を兼ねた外交訪問のため使節団を率いて来日し、天皇陛下に謁見してスペイン情勢について意見交換を行ったという。 

 

依頼の内容は、その将軍の追悼式典が開催されることになったため、当時撮影された写真に写っている人物の特定と、謁見の記録を入手して翻訳してほしい、というものだった。

 

 

 

 

 

私はどうしたものかと一瞬途方に暮れたが、思い切って宮内庁に相談したところ、文書館に関連文書(謁見録)が保管されている事が分かった。

さっそくコピーを依頼して取り寄せると、1940年6月7日に昭和天皇に謁見した際の記録が数ページにわたって記載されていた。

 

 

一連の作業は簡単ではなかった。 当時、私は個人事業で多忙を極めていて、各地を飛び回っている最中でもあった。

しかし、私にとって決して忘れられないスペイン留学時代の仲間からの切なる思いはいくつものメールでひしひしと伝わってきていたし、夢中になって期待に応えようと頑張った。

 

来日時の様子や謁見の内容がわかり、マルシアルからは丁寧な感謝が寄せられた。

 

ただ、話はそれだけでは終わらなかった。 その後幾日も経たないうちに、歴史上の人物の子孫や、調査に協力してくれた海外の研究者などからビデオ・メッセージが寄せられ、式典で上映する事になったため、私にもメッセージを撮影して送ってほしいとの依頼が届いた。

 

スペイン留学時代は自由に使いこなしていたスペイン語だが、あれから四十年も経っている。

アマチュア無線でスペイン語を話す機会はあったが、忘れる方が遥かに速い。

正直、荷が重たかった。

 

謁見録の入手と翻訳だけでもかなりの体力を使っていたところに、偶然にも母が亡くなり、精神的にも余裕がなかった。

しかし、ここまでやってきたことを思うと、最後の依頼にもなんとか応えてあげたいと自分を奮い立たせた。

 

実は、今ここに書いている一連の出来事を、私はすっかり忘れていた。

ところが、そのとき撮影したビデオ映像がなぜか親友のスマホに残っており、つい先日そのことを知らされた。

自分のビデオを見て、スペインの友人と交わしたメールなどを振り返るうちに、ようやくすべて思い出すことができた。


スペイン語なので、聴いても分からない方がほとんどだと思うが、表情と語調から、私の込めた思いは感じ取っていただけると思う。

 

https://www.youtube.com/watch?v=1HTd6PXbxTM

 

(スペインのみなさんこんにちは。 私は岡 浩一郎です。

このたびカストロ・ヒローナ将軍に関する文書を日本の宮内庁文書館で探し出して翻訳しました。

この歴史上の人物の重要性と私の国との関係について、皆さんがより詳しくお分かりになるためにお力になれたことをとても嬉しく思っています。

残念なことに今日は私のスペインの友人たちと一緒にできませんが、みなさんに東京から心からのご挨拶をお送り致します。

私は1984年から85にかけてヴァジャドリッド大学で私の友人のマルシアル・カストロ・サンチェスと同時期に学びました。

もう何年も経っていますが、私たちの友情はまだ続いています。

彼はそれはもうとてもハンサムな青年でした。

あの日々からスペインは常に私の第二の祖国になっています。

だからこそ私は、何年も昔からこんな大切な関係を築いてきたことを確かめることができて、とても、とても、嬉しく思います。

いつもみなさんが幸せにお過ごしになり、そしていつかお目にかかれることを楽しみにしています。

それではまた、さようなら。)


学生時代、特に海外留学という特殊な環境の中で寮生活を共にした仲間との絆は、四十年経っても崩れていなかった。

 

私のエッセイの中には度々スペイン時代の話が登場するが、それだけ私の人生に与えた影響が大きかったのだ。

もしあの経験がなかったら、今日の私はまったく違う人間になっていたと確信している。

 

このビデオ画像を数年ぶりに見ながら、私の過去への感謝がそこに詰まっているのを感じた。

 

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