「他愛もないことの繰り返し」――それこそが、人生の営みの中でふと感じる、ほのかな幸せなのだと思う。 妻が具合が悪かったので、娘が家事を手伝いに来てくれ、私と一緒にスーパーに買い物にも行った。 本当に幸せで楽しい時間だった。 その後何度も思い出しては、その幸せを噛みしめている。
人生というのは、特別なことをして想い出を作ろうとしがちだが、実は何でもない日常の一頁を誰かと一緒に過ごせることほど心躍ることはないのではないだろうか。
人間の幸せに、特別な出来事は必ずしも必要ない。
日常のごく普通の一日を、安らかに過ごせることに勝る幸せはないと思う。
妻の具合が悪く、私は健康上の理由で一年ほどは車の運転ができず、そんな折に二カ月前から予約していた定期診断日が訪れた。 二日も延期してもどうにもならず弱り切っていた時、「土曜日なら仕事がないから」と、幼い子を二人抱えた娘が、子供たちを夫に託し、朝から私を助けに来てくれた。
娘の運転する車に初めて乗り、隣の市の病院へ向かった。
「待ち時間が何時間になってもいいよ」と言ってくれた娘は、帰りにはスーパーに寄って、一緒に買い物までしてくれた。
娘がいて本当に良かった。
その娘が嫁いだ先は地元の人で、穏やかで優しい人だ。 娘はのびのびと共稼ぎの生活をしている。 だからこそ、こうした緊急事態には、すべてを投げ打って親のもとへ駆けつけてくれる。 こんな幸せ、どこにあるだろう。
特別なことはいらない。
結婚して子どもたちが生まれ、可愛い孫ができ、子どものうち一人は車で二十分とかからぬ近くに住んでくれ、しかもそれが息子ではなく娘であってくれた時、親の幸せは頂点に達する。
結婚しない方、結婚しても子どもに恵まれない方、子どもができても、娘がいない方、そういう方はたくさんいる。 そう思うとこの幸せを口にするのをはばかられる。
それでも、私は恵まれた幸せを本当に噛みしめて生きている。