私はMS-DOS時代からパソコンを操ってきた人間なので、キーボードの打鍵は誰よりも速かった・・・と言うのは、もうかなり前の話だ。 パソコンを始めた二十代の頃は、本物のマニアしかキーボードを触らない時代だった。 若いときから馴染んだキーボードの操作は速くて当たり前で、左右の指十本をフルに使い、頭に文章が浮かぶのと同時に打鍵していた。
それが今では、みじめなことに右手の指は人差し指と中指の二本しか使えなくなってしまった。 若い時にやってしまったトランポリンの落下事故で痛めた頸椎ヘルニア、いわゆる「むち打ち症」が歳と共に顕在化してきて、右腕の特定の動作がしにくくなっているのだ。 通常の暮らしには特に支障がないが、指先の細かい動作を神経で制御するのが難しい。 キーボードの打鍵以外では、例えばヴァイオリンの演奏がかなり厳しくなってきた。 右手で斜めに弓を構え、上げ下げを正確に行うのが難しい。 やはり手首から先の指の制御がうまくいかないからだ。
結婚した息子が泊りがけで家に遊びに来たとき、一緒に見ていた民放テレビで、芸能人の女の子がパソコンのキーボードの早打ちを披露する番組があった。 画面の上半分に入力した文字が映し出されていた。漢字変換はしていなかったが、テンポのかなり速い歌の歌詞を聴きながら、リアルタイムに見事にさらさらと入力していた。
「おっ!速いな」と私が言うと、息子は「あんなの俺だってできる」と軽く返した。 息子はもともと機械には弱い人間だったので「まさか」と思ったが、彼は自信たっぷりに同じ言葉を繰り返した。 翌日、息子が持って来たノートPCを取り出してメールに返信をしている所を見ると、鮮やかな快速打鍵だった。 指も正しく十本使っていた。 そんなことは絶対あり得ないと信じていたが、見事に裏切られた。
その後、かかりつけの病院に定期健診のため訪れる事になった。 今は、大学病院など大きな病院だと、大規模な診察システムが構築されていて、先生は診断中にも目の前のPC端末の電子カルテに記録を入力するため、ほとんどの時間キーボードを打ちっぱなしだ。 いつもお世話になる四十代くらいの男性の先生の診察は、ちょうど真横から先生のキー操作を見ることになる。
今回は息子の件もあって、いつも以上に先生のキーさばきが気になった。 とにかく、さらさらと流れるような打鍵音が響く。 最近よく見かけるストロークの浅い平たいキーなので、よけいに音が鮮やかだ。 さすがに手元は見ておらず、目はPC画面を見つめたままのブラインド・タッチ。 指を立てず、ほとんど平らに寝かせたまま打つ独特の動きに、先生の繊細で優しい白い手が溶け込んでいる。
快速のキー操作を見ていて、昔だったらまったく注意を払わなかったろうが、今では自分が不自由しているだけに、その鮮やかなキー操作を注視しながら何とも言えない気持ちになる。 目の前の先生の姿に、十本の指を踊らせていたころの懐かしい自分の姿が重なる。
しかし、先生の快速のキー操作をよく見ていると、左手は五本使っているが、右手は二本くらいしか使っていないことに気づいた。 もちろん、難しい神経の外科手術も頻繁にされる先生なので、右手に問題があるわけではない。 よく見ると、右手の使用本数が少ない分、左手の指が右手がカバーすべきキーにまで「越境」して叩いていた。 私はちょっと救われる思いがして、ふっと気が楽になった。
先生の「越境」する左手の動きは、まるで完璧なフォームでなくても、仕事はできるし、速さと美しさもあることを証明してくれているようだった。
私がパソコンに向かうとき、十本ではなくなった指にも、まだかつての踊りの余韻は残っている。 あの先生がやっていたような越境スタイルはとれないが、右手の二本の指に五本分の仕事をさせればいい。 2.5倍の動きで、かつての踊りを呼び戻そうと必死になって叩いている。 合計七本の指で、ほぼブラインド・タッチで操作できるようにはなったが、誤打率が高い。 それでもまるで勝負するかのように、毎日キーボードと格闘している。
まだここにあるものが、失われたものを忘れさせてくれる。
そしてその小さな音が、今日も私に「諦めない」という生き方を励ましてくれている。