自分にしか残せないもの ― 私の人生をつくった、ただ一つの原理

大河ドラマ「豊臣兄弟!」を観ていたら、秀吉の母が秀吉の弟である秀長に「自分にしかできない事をやりなさい」と言って兄秀吉の右腕となるようにハッパを掛けるシーンがあった。

 

私は「いいことを言うなぁ」と思うと同時に「自分にとって、自分にしかできないことって何だろう」と考えた。 自分はこれまで、自分にしかできないことをしてきたのだろうかと、思いを巡らせた。

 

ほどなく、私は常にそれと似たようなことを行動規範にしてきたと気づいた。  それは「人のやらないことをやる」というものだった。 似ているようで、実はかなり違う。 私は確かに人がやっていないことをやってきたが、それが「自分にしかできないこと」だったのかまではわからない。 考えて見れば、「人がやらないこと」の中には「人ができないこと」も含まれている。 おそらく、自分にしかできないこともいくつかあったのだろうと思った。

 

自分の人生を振り返って納得したり満足していることをひとつひとつ思い起こしてみると、やはりどれも「人がやらなかったこと」を実現したものが多い。 その中には、今も誰も手を付けていないものもあれば、逆に今は私より高いレベルで実現されているものもある。 もちろん、できるかできないかは「その時代において」という時間軸を入れて見なければならない。

 

私が「人のやらないことをやる」と言う行動規範を持つようになった原点は、子ども時代に抱いていた「人より目立ちたい」と言う純粋な本能に近い衝動だったのではないかと思う。 それが成長につれて、いつの間にか「人のやらないことをやる」と言う行動規範に変わって行った。 それは目立つためではなく、自分の存在理由を自分でつくるためだった。

 

自分が生まれて生きたことの意味が欲しかったのだ。 ただの屑として生まれたのではないことを、意味のある足跡を残すことで確かなものしたかったのだと思う。 その結果として、今「自分にしかできなかったこと」もいくつか残っている。

 

ただ私は何か行動する前に、「人のやってないこと」を探し出し、その中から挑戦する物を選んでいたわけではない。 そこはまったく違う。 私が興味を持つものが、たまたまそういう領域にあっただけなのだ。 人がすでにやっているものについては、それだけの理由で興味が湧かなかった。

 

この記憶はすごくはっきりしていて、私の人生で唯一の例外はゴルフだった。 これはみんなが楽しんでいるスポーツなのに、何故か夢中になった。 どれだけ練習しても、すればするほど下手になったのに夢中になったという、唯一の例外だ。 これについてはいまだに理由を説明できない。

 

人のやらない事をやるのは単純に自分自身への挑戦だったので、夢中になっている時には周りの目はいっさい気にならなかった。 さらに言うと、「人のやらない事をやっているんだ」と言う意識すらなかった。 ただ単に自己実現をしたい、その一心で夢中になっていた。

 

60歳になってから始めた個人事業での技術開発は、寝ても覚めても今の「エッセイ書き」と同様に、そのことしか頭にない状態だった。 気が付いてみると、自宅の私が使っている三つの部屋は、機械と部品と工具で溢れ返っていた。 そこで目指したものは、学生時代から趣味の世界で積み上げて来た技術とノウハウの集大成でもあった。

 

私がこれまで実現してきたことの背景には、それなりのプロセスがあった。 誰もやらないことに挑むためには、それなりの心構えが必要だった。 また、技術や知識を必死で身につける必要があったし、全てをかけて夢中になって挑戦し続けるエネルギーと根気も必要だった。 これらはすべて、「目立ちたい」という幼い感情が育ち、変質し、深まったから実現できたのだと思う。

 

私の人生は、「越されたくない」という強い衝動から始まり、「意味のある足跡を残したい」という静かな願いへと変わってきた。

 

私が現役最後の個人事業で開発した貴重な撮影技術が社会に残ること、そして私と言う人間の思い出が大切な人たちの心に残ること。 この二つが私にとっての「意味のある足跡」のすべてだ。

 

今私が書いている事も、ある意味では私にしか書けないものだと思う。 なぜならば、私の生きて来た「波乱万丈な人生をまったく同じように歩いて来た人」は、世界に私一人しかいないからだ。

 

「自分にしか出来ないこと」は、こうして今も、静かに私の前で足跡を残し続けている。

 

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