見えていなかった恵み

人から「あなたは恵まれているのか」と問われれば、私はおそらく余計な贅沢は言わず、謙虚に「恵まれている」と答えるだろう。 それは、多くの人が「上流か下流か」と聞かれたとき、「中流です」と答えるのに似ている。 しかし実際の私は、無意識のうちに理想像と現実を比べ、健康や状況に不満を抱くことがある。

 

周囲を冷静に見渡せば、私が経験していない不運や不幸に直面している人が大勢いる。 それなのに、普段はそうした人々の存在を意識することがほとんどない。 つまり私は、自分が得ている恵みを「恵み」として受け取らず、当たり前のものとして扱ってしまっているのだ。 きっと、それを失ったときに初めて、その大きさに気づくのだろう。

 

高齢者となった今、特に「健康」について身につまされることが多い。 70歳を超えた知人たちを見渡すと、健在であること自体がすでに高い壁を越えた証であり、十分に「恵まれた」結果だと分かる。 しかし実際には、一度や二度の大病を経験したり、倒れたり、救急車で運ばれたことのある人が驚くほど多い。

それに比べて私は、大病ひとつしたことがなく、深刻な持病もない。 それなのに、将来に対して不安や悲観が増えている。 大きな病気や怪我を乗り越えて生きている人たちの姿は視界に入らず、自分の理想像だけを基準にして、自分の現状に満足できずにいるのだ。

 

彼らの多くは、私が想像もしなかったような大病や大怪我を経験し、その後も後遺症や不自由と折り合いをつけながら、それでも日々を淡々と、しかし確かに生きている。 痛みを抱えながらも、必要以上に弱音を吐かず、できることを一つずつ積み重ねている。

 

その姿勢は、言葉よりも雄弁で、私の胸の奥に静かに響いてくる。 ある人は、歩くことすら困難になりながら、それでも毎朝の散歩を欠かさない。 彼らは、自分の境遇を嘆くよりも、残された力をどう使うかを考えている。 

 

その姿勢に触れるたび、私は自分がいかに小さな不安や不満に囚われていたかを思い知らされる。 自分の境遇や健康に不満や不安を抱く前に、もっと身の周りにいる、困難を抱えながらも懸命に生きている人たちに敬意を払わなければならない。

 

そして自分が満たされない物ばかり目に付いている考えを恥じて、すでに受けている「恵み」に気づかなければいけないのだと思う。

 

私は大企業に就職したものの、その懐の深さに甘え、あぐらをかいて好き放題に生きてきた。 放蕩生活と言われても仕方がないような日々だった。 そんな生き方が変わったのは、還暦を迎えるころに個人事業を立ち上げてからだ。 私は人生で初めて、真摯な姿勢で仕事に向き合うことになった。

 

苦労を重ね、なんとか事業が軌道に乗り、人生で初めて「自分のすべてを賭け

た挑戦」が形になったとき、私はようやく、自分という人間と歩んできた人生

を冷静に振り返るようになった。

 

そのとき初めて、私は気づいた。 私の背後には、傷だらけで、ボロボロになりながら、それでも私を支え続けてきた妻の姿があったことに。 私は自分の力で成功したつもりでいた。 だが、成功の影には、私の未来のために何度も傷つき、何度も立ち上がり、 それでも私を見捨てなかった妻の覚悟があった。

 

私が過ちを何度繰り返しても、なお私のそばにいてくれた妻の存在があった。 普通の人なら、とっくに私の元を去っていただろう。 裏切られ、傷つけられ、心が折れても不思議ではない。 それでも妻は、私に背を向けなかった。 「信じられるから」ではなく、「信じたい」と願い続けたのだと思う。

 

私の中にあるわずかな善さや可能性を、自分の人生をかけて拾い上げようとしてくれた。 裏切られても、傷つけられても、それでもなお私に未来を差し出し続けた人。 私の未来に、自分の人生を賭け続けた人。

 

私が自分の弱さに向き合えるようになったのは、妻のその揺るぎない選択があったからだった。 私の胸が痛むようになったのは、その重さにようやく触れるようになったからだった。 その事実に気づくのが、あまりにも遅すぎた。 私は、本当に愚かだった。

 

恵みとは、派手な幸運ではなく、日々の中で静かに積み重なってきたものだ。 健康であること、支えてくれる人がいること、そして、失わずに済んできた多くのもの。

 

それらを「当たり前」から「感謝」へと置き換えるだけで、人生の風景は驚くほど変わる。 老いとは、失うことの連続ではなく、見えていなかった恵みを一つずつ拾い直す時間なのかもしれない。

 

老いの道を進むこれからこそ、見落としてきた恵みを丁寧に拾い直していきたい。

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