人生のからくり ― 災いは未来の影を照らす

「屁理屈」とか「こじ付け」と言われるかもしれない。 しかし自らの人生を振り返ると「そう言思われても仕方ない。でも因果関係があったとしか言えない。」とか「何かの力がその時の私を救ってくれたに違いない。」と思う事はないだろうか。

 

私は、私がここでこうして話をしている事自体が、例えこじ付けと言われようと運命のいたずらだと思っている。 2001911日にアメリカのニューヨークで「アメリカ同時多発テロ」が発生した。 私が勤めていた会社のニューヨークの拠点があの航空機が突っ込んだビルの中に入っていた。 私の同僚が何人か犠牲になった。 その中の一人は仲の良かった私の1年後輩であった。

 

私がまだ若い30代の前半だった頃、私は彼と同じ国際部門で仕事をしていたが、私は上司と折り合いが悪く、他の国内部門の部署に異動させられた。 それは私のその会社の中ではキャリアダウンさせられた事を意味していた。 事故で犠牲となった1年後輩は元々上司と衝突するような性格ではなく、その後無事にキャリアを積みニューヨークへ栄転をしたのだった。 私がその当時に与えられていた評価を考えれば、海外拠点への直接の異動が多いその部門から、私が彼の代わりにニューヨークに赴任していた可能性は十二分にあった。 それを「こじ付けだ」、「考え過ぎだ」と言う事もできるだろう。 でも歴史は繰り返せないので証明ができないだけだ。 起きなかった事は証明できない「悪魔の証明」だ。

 

 

私が最後の会社員生活を送った南太平洋の島国フィジーでは、とても素晴らしい環境の中で単身生活を送っていた。 妻は、まだ独身で家にいた娘の面倒を見ながら仕事もしていた。 私の生家で父に先立たれた母が独り暮らしをしていたが、85歳を過ぎていた。 建物は2世帯住宅で、2階には若くして亡くなった姉の夫が住んでいたが、行き来はほとんどなく、実質独り暮らしであった。 一時帰国をした時に母に会いに行った時、あれだけ几帳面で家中を小奇麗に掃除していた母が、散らかし始めていたのが気になった。

 

その後、私はフィジーの勤務先で得ていたポジションがなくなり、その会社から去る事になった。 突然に訪れた事態に翻弄された形になった。 たまたま新しいタイムラプス撮影と言う動画作成技術に興味を持って研究を始めており、フィジーの綺麗な景色を題材に作品作りを繰り返していた事もあり、他の会社に勤めてでももう少し滞在する事を考えた。 かなり悩んだが、日本に残したままの家族の事もあり、思い切って帰国する苦渋の決断をした。

 

母は、私が帰国した時にはもう身の周りの事の多くが自分の手に負えなくなっており、もはや独り暮らしはかなり難しい状態となっていた。 私は抵抗する母を説得し、すぐに介護施設に入れさせた。 身近に住んでいた、亡くなった姉の夫には、血縁の私を差し置いて母をどうする事もできなかったと思う。 その後母の妹である叔母からは「本当に良い時に帰国してくれた。あなたのお陰でお母さんは助かったのよ。本当に間に合って良かった。」と何度も感謝された。 母はその5年後にその施設で安らかに世を去った。

 

叔母の言葉通りだった。 本当にあの時帰国して良かった。 あのままフィジーで仕事を継続していたら、母をとんでもない悲惨な目に遭わせる事になった。 今でもフィジーでの心残りな最後を想い出す事はあるが、その度にそのお陰で親孝行が出来たのだと、神様の導きだったんだと胸を撫でおろしている。

 

 

何か予期せぬ好ましくない事が起こっても、それが人生に於いて本当に不幸な事なのかはわからない、とつくづく思う。 「ある時に不幸に出逢ったとしても、そのお陰で後日もっと大きな不幸から身を守れる事がある」のだ。 少なくとも私のこの2つの経験はそう思われる結果につながった。

 

その経験が、あたかも不幸は後のもっと大きな不幸から守ってくれる予兆の様に現れた点がとても心に刺さる物があった。 「その不幸のお陰で後日幸せを手にする事がある」と言う様な過度にポジティブに表現されるような形ではなかった点が余計に重みを感じさせた。

 

生きていると、どこからどこまでが絶対的な真実でどこからが偶然なのか、神様でない限り誰にも断言できない。 でも現実にこんな事があると、どんな事も前向きに考えた方がいいと思う。 誰にもどちらかわからないのに、前向きに考えないのは、自ら自分の首を絞めているようなものだと思う。

 

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