鉄道200年の進化と、不変のレールが秘めた力強さ

暑い夏の日、小学校低学年の私は家族と一緒に大分の父の生家に帰省する為、東京駅に向かった。 東京駅のホームに着くと、父は私を既に入線していた列車の一番前に連れて行き、私を抱き上げてシューッ・シューッと音を立てながら白い息を吐いている巨大な黒い怪物に寄って行った。 近づくに従ってどんどん熱くなる。 私は怖くて泣いた。 父は面白がってやめなかった。 それが私と蒸気機関車の初めての出逢いであった。

 

父の郷里大分まで、丸一日かけての蒸気機関車の旅が始まった。 東京駅を朝10時過ぎに発ち、翌朝10時頃にやっと大分に着く汽車の旅の始まりだ。 急行「高千穂」、東京から西鹿児島まで走る、日本最長距離を走る寝台夜行列車だった。

 

窓際の席に座って窓を開けていると、機関車が石炭を焚く煙の臭いがする。 母が「煤煙が付くよ。閉めなさい。」と言った。 確かに気が付くと腕や手が煤に覆われていた。 かといって暑い夏、今の様にエアコンはないし、閉め切ったら暑くてかなわない。

 

一車両に何個か天井に首振り扇風機が取り付けられていたが、まったく効果はないので、やはり窓を開ける事になる。 汽車はトンネルに差し掛かると「ボエ~~~ッ」と長い汽笛を鳴らす。 すると乗客達は一斉に窓を下ろして閉め始める。 閉めなかったら煙突の中に首を突っ込むのと同じ目にあってしまう。 私は日常と異なる変化に富んだ初めて体験する驚きの連続に興奮した。

 

夜の9時頃に目を覚ますと薄暗い大阪駅だった。 朝になって目を覚ますと山陽地方の黄緑色が眩しい田園地帯を走っていた。 田んぼの中に線路を向いて立てられていた繰り返し出て来る大きな看板が目を惹いた。 「おたふくわた」と「かくいわた」の広告看板だった。

 

関東では全く馴染ものない名前である上に、小学生でも読めるひらがなで書かれた、田んぼの中に何度も現れて来る看板は、その面白そうな名前も手伝ってとても興味を惹いた。 今もあるのかと思って検索してみたら九州地方の由緒ある古い布団・綿製品の会社のようだ。 未だにあの風景は目に焼き付いている。 60数年も私の記憶の中に残り続けたのだから大したものだ。

 

大分に着くと、今度は久大線に乗り換えた。 目指す父の生家は湯布院の手前にある天神山(てんじんやま)と言う小さな無人駅で降りたところにある。 久大線の普通列車は蒸気機関車に引かれたほんの数両の客車である。 大分までの急行寝台列車と較べると信じられないくらいの遅い速度だった。 各駅停車のこう言った列車は「鈍行(どんこう)列車」と言うのだと父は教えてくれた。

 

私は客室の端に設置されたトイレに行って驚いた。 いわゆる和式のしゃがんで用を足すスタイルなのだが、便器の下に線路と枕木と砂利が走っているのが見えたのだ。 小でも大でも線路にまき散らしながら走っていたのだ。 幼心にもそれは本当に驚きだった。 席に戻って父にその話をしたら、「だから駅で停車中の時は用を足しちゃだめなんだよ」と教えられた。 天神山駅から数分の所に父の生家はあった。 家に上がって庭を見たら、庭先数mの所を久大線の線路が走っていた。 私はさっき見た列車のトイレの事を思い出した。

 

かくして東京の自宅を出て全行程約1,500Km278時間かけた汽車の旅は終わった。

 

今は東京~博多は新幹線、博多~大分は特急列車を使って7時間以下でできる旅だ。 4倍も速くなった。

 

60歳を過ぎてから撮影の仕事で機材を抱えて何回か九州に自動車で出かけた事がある。  自動車で同じ旅をすると、距離的は高速道路を通れば1,000Km程度なので計算上は13時間程度で行ける事にはなるのだが、運転するとなると途中で休み休み行かねばならないのでそうは行かない。 大概の場合岡山あたりで一泊する事になる。 結局昔の蒸気機関車の旅と大して変わらない時間がかかる事になる。

 

いつも歩いて踏切で線路を渡る度に思う。 「こんな幅の狭い鉄路の上を、何故あんなに巨大で逞しい列車が倒れないで走れるのだろう」と何度見ても信じられない。 「あれは列車の長さが長いから倒れないんだろう。もし列車の長さが1mしか無かったら間違いなく左か右かどちらかに倒れるに違いない。」などと想像しながら毎回渡る。 そしてあの巨大な列車の重さに耐えている事も素晴らしい。

 

最近話題になるワナに捕らえられたヒグマのように、粗い鼻息を吐き出しながら走る蒸気機関車も、ジーゼルエンジン音を絞り出しながら走る気動車も、重厚な唸り声を響かせて走る電気機関車も、軽い音楽の様なモータ音を響かせて走る通勤電車も、まるで生き物のようだ。

 

夏の通勤電車はエアコンがギンギンに効かせている。 そして車内照明も明るい、線路の高さから近くで見上げると、あの重たい頑丈な金属の空間の中は別世界に見える。それがあの細い架電を下から舐めているパンダグラフだけで大電力が供給されているのがとても不思議だ。

 

こんなに逞しく頼りがいのある鉄路は世界中隈なく張り巡らされている。 どんな国も国内の開発の第一歩は鉄路の敷設だ。 自動車が通る道路ではない。 鉄路は他に誰も通らない列車の専用道だ。 運転の仕方によって走る場所や距離も変わらず、一時停止の必要もなく、渋滞もなく、定時に走行できる。 そしてもちろん一度に沢山の人や物を輸送できると言う最大のメリットを持っている。

 

およそ200年の歴史を持つ鉄路交通。 世の中が進歩し技術革新が進んで、その上を走る物は激変したが、2本のレ-ルは変わらない。 レールが続く風景にはたまらぬ旅情を感じるし、踏切を歩いて渡る時に間近に感じるレールと言う素材その物が語る、「歳月の流れとどんな重さにも耐えて来た力強さ」は私の心を捉えて離さない。

 

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