説明できない「夢中になる理由」

人は皆それぞれ何か夢中になる物を探し、人生の楽しみとして大切にして生きていると思う。 私も昔からいつも何かに熱中して生きて来た。 一番熱中したのは趣味を始めとする興味を持った世界で、面白くて夢中になり、何か達成感が得られるまでは徹底的にはまり込んで来た。

 

しかしその一方で、「なぜそんなものに?」と一般的には全く説明のしようがない世界にも熱中して来た。 私の部屋の壁には私が作った色々な資料・一覧表が貼ってあり、書棚には私が作った沢山の資料ファイルが並んでいる。 訪れた友人や子供達は目を丸くして驚いている。

 

例えば自分が何か忘れ難い経験をした場合、それだけを一冊のファイルに写真入りで数十ページにわたる詳細・精緻な説明・記録文書を作成する。 作成後一度も開くつもりはない物であっても寝食を忘れて没頭して作るのである。

 

それだけの資料を作るのに投入されたエネルギーと時間はかなりの物になるとは思うが、私にとっては少しも大変な事ではなく、至極当たり前に繰り返して来た日常の事だ。

 

つまり、私はいつも理由なしに色々な事に熱中する癖があるのだ。 やっている事に説明がつかないのだ。 しかも全く面白そうでもない事、自分を含め誰がやっても面白そうでない事に熱中する。 

 

まずは何でも珍しい事を見つけると興味をもって「研究」したがる。 それを追求したからと言って何に役に立つ訳ではなくても、研究に夢中になってしまう事が多い。

 

夢中になるのは研究だけではない。 何でも「整理」するのが好きなのだ。 大別すると、PCのキーボードに向かって格闘する資料作成系の作業と、アルバムや資料ファイルを作ったり、ラベルをつけて箱や棚にきちんと並べたりする仕分け・整理系の作業になる。

 

つまり物事を調べたり整理したりする事に熱中するのだ。 

 

私の妻は掃除・洗濯が大好きで、毎朝「何か洗濯する物ない?」と聞いてくる。 毎日の着替え物は入浴の際に洗濯機に放り込んであるので、プラス・アルファのシーツだとか枕カバーだとかパジャマだとかについてである。 3日前にそう言われて思いつく物はすべて出したのに、ある訳ない。

 

また私が自分の部屋で作業に集中している時に限って、ガ~ガ~音を立てて掃除機をかけながら部屋に入って来る。 最初は追い出していたのだが、最近は諦めて23分作業を中断して私が部屋を出る事にしている。

 

「掃除・洗濯」も「整理」も共通点を感じる。 ただ、私の「整理」は明らかに「何にも役に立ちそうにない作業」と言う点が特徴だ。

 

何故、無駄をものともしないで熱中するのか、私にもそのわけは説明出来ない。 記憶を辿って行くとその性癖は随分昔からあったようだ。 「吹く笛の音に従って進む方向を変える電池で動くおもちゃのバス」を分解してその動作説明書を作って紐で閉じて本の形にした小学生時代に端を発している。

 

今、ここでエッセイ書きに熱中しているが、何の為なのか余り深く考えないで書き始めた。 今は、説明がつかない訳ではない。 「自分に向かい合う事が出来る貴重な機会を得ている」と説明は一応出来る。

 

ただそれは私の気持ちとしてはあくまでも後付けの理屈なのである。 最初からそう感じていた訳ではないからだ。 書き始めてどんどん夢中になってきて、自分の変化だとかやっている事の効果とかに気づいて来て、後からつけた説明だ。 始めた時には全く何も説明出来なかったはずだ。

 

noteの多くのユーザーの方は、「何かを記したい」「何かを残したい」「何かを表現してみたい」「何かを訴えたい」「何かを伝えたい」「自分を試したい」「自分と向き合いたい」はたまた「有料記事で収入を得たい」など色々な観点で自分の行動を説明できるのではないかと思う。

 

私は、基本的にはわけもなく「ただ書きたい」と言う衝動だけで走って来ている。

 

私の行動にはどうやら「無駄」と言う概念はないようだ。 何にでも、やろうと思った物にかぶりついて夢中になる。 学生時代に自分の事を「馬車馬(ばしゃうま)みたい」だと表現した事がある。 左右が見えないように左右の目の外側に遮蔽物を取り付けられて、鞭を打たれるとただひたすら何も考えずに前に走り続ける馬の事である。

 

こういうのは持って生まれた性癖で、死ぬまで変わらないのだと思う。

さすがに大分走り疲れて来たが、それでも休むことなく自分で身体に鞭打っている。 世の中にはこんな人間もいるのだ。

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