遊びは勉強や仕事の「反作用」

現役のサラリーマンだった頃、とにかく休みが待ち遠しかった。 遊ぶ時間、すなわち自分の趣味に没頭できる時間が生きがいだった。 あの頃は、将来の退職後の事などは遥か先の話で全く現実味のない世界だったので、目先の毎日を思ったように過ごす事ばかり考えて、イソップ物語の「蟻とキリギリス」のキリギリスのように遊びに没頭していた。

私が会社勤めを辞めたのは60歳の時であった。 それまでの人生でろくに蓄えを築く事も出来ていなかったので、私にとって「現役引退ご苦労さま!」とはならなかった。 60歳はフィジーにある会社で迎えたが、そこを退職して個人事業を起こす道を選んだ。

 

53歳で永年勤めた銀行を早期退職したあと、いくつかの会社を経験したが、銀行は懐の深い大企業だからこそ、こんな私にも身の置き場を与えてくれた事を知った       。 「小さな会社でもいい、新しい経験をしたい」と思ったチャレンジだったが、何処にも私の身の置き場はなかった。

 

そこで最後に選んだ道が、「自分の好きな事」を仕事にして、「一人でそれに専念する」と言う個人事業の立ち上げだった。 私の友人に、60歳で退職して「後は好きな事をして暮らす」と言う道を選ぶ事が出来た男がいる。 もっとも彼は独身なので私と全く状況は異なるが、私は進んで「いばらの道」を選ばざるを得なかった。

 

結局それから13年間私は個人事業に打ち込む事になった。 そこで期せずして私の人生で初めて「遊びたい」と思わない時を過ごす事になった。 それは自分が好きな事を仕事にしたからだった。

 

永年写真撮影や電子機器の製作などは趣味の一つとして親しんで来たのだが、私はその経験や技術を活かしてタイムラプス・フォトグラファーとして、当時はまだほとんど知られていなかったタイムラプスを日本に普及する事業を始めた。

 

行ってみれば趣味の延長だった。 好きで遊びの対象だった物が仕事になった途端、それはもはや「余暇の時間」ではなくなり、「真剣勝負の時間」となった。 「遊び」が「真剣勝負」となった瞬間、「遊び」は私の人生から消え去った。

 

人生ずっと会社勤めをして来たが、いつも遊びたいとばかり考えていたのは、仕事で自分の探求心を満たす事は出来なかったからだと思う。 もちろんそれなりに仕事にも打ち込んで来た。 私は何でも熱中するタイプなので、会社でも自分の興味を惹きつける様な仕事を与えられた時は、夢中になってその仕事に熱中した。

 

ただ、それはその時に与えられた仕事を「職務」として全うしたかったのではなく、その仕事を「利用」して自分の探求心を燃やしたかっただけだと思う。

 

真剣勝負の時間となった事業も、古希を過ぎて3年経った今年の春に閉業した。 体力的にそろそろ限界を感じて来ていたし、自分としては十分納得できる成果を得る事ができた上、死ぬまでかろうじて食いつなげる資産だけは何とか築けたからだった。

 

そしてそれから半年たった今、私には自由な時間がたくさんある。 たくさんあると言うより自由な時間しかない。 遊ぼうと思えば朝起きてから夜寝るまでの間、家事の手伝いをする事以外はすべて遊んで暮らす事が許されている。 その代わり「いつあの世に行っても文句言うなよ」と言う交換条件付きで与えられたような自由だ。

 

不思議なもので、こうなるともはや遊ぶ事は胸高鳴る時間ではなくなってしまった。 それは歳で頭と身体が付いて来れなくなったとか、ぼけっとして暮すのが心地よく感じるようになったせいなのかもしれない。 しかし私が一番強く感じるのは、働く事を辞めたからだと思う事だ。 運動もしないで朝から家でゴロゴロしていても、お腹は余り空かない。

 

思い起こせば若い時から仕事をしながらも、隙さえあれば遊びに熱中した。 仕事を始める前の学生時代から遊びには夢中になっていた。 それは勉強と言う暗黙の義務みたいな物があったので、まるで反発するかのように遊びに走っていたと言う面があったと思う。 また、就職してからは、自分の生活の殆どを支配する仕事時間を蹴散らすかの様に遊びに熱中した。

 

今私は、かつて遊びに熱中していた頃を懐かしく思い出す。 ただ、今は何にも熱中していないと言う訳ではない。 相変わらず熱中している物事はある。  毎日のゴミ拾い散歩、家事手伝い、自分と向き合いエッセイを書く事、時々妻と近郊ドライブなど、やる事は色々あって、それぞれ熱心に集中して挑んでいる。

しかしそれらは長い間、常に夢中になって来た「遊び」とは明らかに違う。 反発する相手がないのだ。 学校の勉強や、会社の仕事がないのだ。 果たすべき義務がないのだ。 何と張り合いのない事だろうか。 遊びは勉強や仕事の「反作用」だったようだ

 

かつての私の行動は、「積極的な現実逃避」と言えたかも知れない。 勉強や仕事が嫌でそれから逃避して遊んでいたのではなく、「勉強や仕事があるならそれ以上に遊んでやる!」と言う「反抗的」な生き方だったのだろうと思う。 学生時代の遊びについては勉強からの単純な現実逃避と言う面が強かったと思うが、社会人となってからは明らかに仕事との闘いであったと思う。

 

現役から退いて自由人となると、むしろ何か仕事をしたいと考える人も多いと思う。 私もまさか昔に戻りたいとは思わないが、仕事をしていた頃が懐かしく、もう一度みんなの仲間に入りたいとは思うのだから困ったものだ。

 

来るものは拒みたくなるが、去るものは追いたくなる。

 

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