芸術と感動

あのヴァイオリンの天才少女妃鞠ちゃんがわずか10歳の時、将来の夢は?とインタビューされた時、迷わず「人々に感動を与えれるようなヴァイオリニストになりたい」と言ったのをビデオで見たが、身体に神が宿ると言われた彼女ならではの発言だと思った。

 

芸術家と呼ばれる人は本当に素晴らしい。 自分自身が直接受ける利益の為ではなく、人々に感動を与えるのが仕事とはその存在自体が本当に神のようだ。

 

感動を与える事の素晴らしさは、対象となる人の感情を突き動かし、その人の中で何かを揺さぶって何かにつながる力を生み出すと言う事、つまりそのパワーが何を生み出すかは感動を受けた人次第と言う点にあるように思う。 何かをあげて喜ばすことは誰にもできるが、感動を与える事は簡単ではない。 たまに何らかの言動や行動で出来る事もあるだろうが、それを専門的に何時でもしかも高度に出来る人が芸術家だ。

 

しかし、芸術家が自分が産み出したものを対価を得る商品として売る事は簡単ではなく、何時の時代も何処の世界でも生計を立てるのには苦労している。 人間が生命を維持して行く為の必需品ではないので、飢饉や貧困と言ったものに直面している人たちには全く価値が無く見向きもされない。

 

以前東南アジアの貧困地域を訪れた時、公害も光害もない夜空に美しい銀河が拡がっていたのに、そこにいた人達に星空を見上げる人は一人もおらず、みんな下を向いて必死に暮しているのを知って、美しさを愛でるのは衣食住足りてこそなのだと痛感した。

 

私は有名音楽大学のすぐ近くで育ったので、いつも傍観者として音大生を憧れの目で見て育った。 音大生の日々感性を研ぎ澄ます厳しい訓練を重ねているからこそ身に着いた凛々しいその姿にはそれこそ感動してしまう。 しかし本人達にとっては本当に大変な世界のようだ。 そもそも入学するまで、例えば一定のレベルまでピアノが弾けなければならず、小さな時からピアノも買って努力を重ね、相当お金の負担をして来ているのに、高い入学金を払って入学したら今度は高い授業料が待っている。 

 

そして卒業までの厳しい訓練の日々は、私が過ごしたようなアルバイトに明け暮れて好きな事をして暮らした学生生活とは雲泥の差だ。 さらに本当に大変なのは無事卒業できた後の就職口探しのようだ。 美大生も芸術関係だが、現代ではデザインや設計関係など一般企業でも活躍分野がたくさんあるのに比べ、音大生は本当に厳しいそうだ。 特に芸術家として生きようとするとどちらも大変なのは想像がつく。

 

人々に感動を与え、人生を豊かにしてくれる世界に生きる人たちには本当に頭が下がる。 私達の身の回りから音楽や絵画、文学などが無くなった世界など全く想像ができない。 特に現役生活から退いた今、我が家に活力を与え、支えてくれているのは、音楽や文学である。 私達の日々の生活を潤してくれている方々には感謝の一言である。

 

ついさっきシンガポールに赴任中の息子からLINEメッセージが届いた。 先日我が家に帰省した際、サプライズで私が始めてまだ3カ月のヴァイオリンと妻のピアノ伴奏でMy Wayを共演したみせたのだが、その際に録画したスマホビデオを友達に見せたそうだ。 その友達には以前から私の多趣味を話していて元々かなり驚いていた所の共演ビデオだったので、友達は大変な驚きと感動をしたとの事だった。 最後に「親の力を使って久々に人を感動させました」と締めくくってあった。

 

話の程度はともかくとして、こんな芸術家でもない私みたいな人間でも、人を感動させることもあるのだとこちらこそ恐縮してしまった。 感動には色々な感動があるのだなと改めて思った。 この際、私のヴァイオリンが雑音以外の何物でもないと言う事は問題にはならなかったようだ。 息子が言うには私の半端でないレベルまで追求した多趣味の特異性と、夫婦の共演とのギャップが凄いとの事だった。

 

まぁ、芸術家ではないのだから、やろうと思ったからと言ってできる事ではないが、一定の条件が重なれば誰にでも人を感動させるチャンスはあると言う好事例ではあったようだ。 いずれにしろレベルの高さが問われているのではない事は確かだ。 素人であっても楽しんで一生懸命やる。 そんな姿勢が人の心に響く事もあるのだ。

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