だらだらと続く登り坂を、「もう少し」と自分を励ましながら歩いていると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。
道路の端に寄って道を譲ると、あっと言う間に追い抜かれた。
上がった息の音すら聞こえない。 その背中はみるみる小さくなっていく。 ショートパンツから覗くふくらはぎには、逞しい筋肉が筋ばっている。 坂の勾配など、彼らの足には存在しないかのようだ。
自宅の近くにある私立大学の学生寮の前を通ると、寝起きとみられる学生たちが一人、また一人と飛び出してくる。
どの身体も動きが軽く、重力から解き放たれているように見える。
エネルギーが有り余っているのだ。 持て余して発散しているとしか思えない。 いつの間にか絞り出さねば出てこなくなった自分と比べると、なんと贅沢な消費だろうと思ってしまう。
かつては私もそうだったはずだ。
贅肉など一切なく、軽いジョギング程度の走りでは息が切れることなど想像すらできなかった。 しかし、そういう能力は自覚できないほどの速度で、着実に摩滅していく。 そして気づいたときには、もう取り返しがつかない。
先日、海外勤務の息子が出張がてら我が家に泊まっていった。
夜、酒盛りが始まると、彼は上半身裸になってボディビルダーさながらのポーズを決めてみせる。
毎週末の筋トレで鍛え上げられた肉体はパンパンに膨らんでおり、その威圧感に思わずたじろぐ。
彼はとにかくビールを飲む。 私も若い頃はビール派だったが、ここ十年は腹に収まらない。
私が横で静かにウイスキーを傾けている間にも、彼は500mlの缶ビールを次々と空けていく。
席を立って冷蔵庫から新しい缶を持ってくると、一瞬で飲み干し、空き缶を片手で「ぐしゃり」と握りつぶした。 「怪獣か」とその握力にまたギョッとする。
口を拭うために箱ティッシュから一枚引き抜く仕草さえ、まるで格闘技の試合中のように鋭く、凄まじい勢いがある。
食事をするときも「なにもそんなにかき込まなくても」と思うほどガツガツと口に放り込み、その様子はまさに牛飲馬食である。
そのすべての動作が、夫婦二人の静かな暮らしに容赦なく打ち込まれる。 私はそのたびに身構え、圧倒されていた。
だが、思い返せば私も若い頃は同じだったのだ。 彼が異常なのではない。 私はいつの間にか、かつて当たり前だったあの瑞々しい野蛮さを失い、突きつけられたその現実におののいているだけなのだ。
翌朝、日課のゴミ拾い散歩に彼を誘うと、彼は快く応じた。 遅くまで飲んでいたにもかかわらず、すんなり早起きしてくれた。
三人でいつものコースを歩く。
驚いたのは彼の集中力だった。
一番前を歩く妻が見落としたゴミを、彼の目が瞬時に捉える。 俊敏な動きで左右に目を配り、着実に、ひとつ残らず拾い上げていく。
私は最後尾から、その淀みない躍動を続ける背中をただ見とれていた。 そんなに凛々しい身のこなしで、「作業」をさばいていく姿を見たのは初めてだった。
「初めてなのに凄い!」
帰宅後、思わず私は彼を称賛した。
その様子を見ていた妻と顔を見合わせて苦笑した。 息子を褒めることがほとんどない私が、彼を一人の大人として正面から称賛したのが、初めてもへったくれもない「ゴミ拾いの技術」だったのだ。
あの息子もあと三十年もすれば、今はまだ無邪気な孫息子から、同じようにこの厳然たる事実を突きつけられることになる。 そのとき彼はどんな顔をするのだろうか。