サラリーマンで退社後真っすぐ家路につく人もいるだろうが、かなりの人が夜の街へ繰り出す。 夜の街での行先は飲み屋だ。 私は今でも「ガード下」と聞いただけで胸がときめき、「赤提灯」と聞いただけで目の前が店内の白熱電球の灯りでぽっと照らされて明るくなる。
30代の頃は体力とエネルギーで酒を飲みカラオケで声を張り上げたが、仕事の脂が乗った40代は、しっとりとした夜のとばりの中の大人の世界で灯る赤提灯の下で酔いしれるようになった。
「家では妻や子供達がどうせ帰って来ないと諦めて寂しげに質素な食卓を囲んでいるに違いない。 それも今夜だけではなく来る日も来る日も。」と、言うのは決して我が家だけではなかったと思う。 何故ならいつも一緒に飲む仲間がいたからだ。
これは習慣化してしまうのがやっかいだ。 ある日会社の飲み仲間がみんな都合が悪く、まだ早い時間に帰宅する事になった。 仕方なく会社のすぐ下にある地下鉄の駅に行き、渋々改札を通り、ホームまで降りた。 「今帰ったら家族の皆は驚いて喜ぶだろう。」と、良いパパの姿が一瞬頭をよぎったが、とても不自然でどうにもならない違和感を覚えた。
どうしても諦められない。 くるりと向きを変えて再び改札口を通って駅の外に出た。 そして結局いつもと同じ赤提灯の戸を開いて入った。 一旦会社に戻って無理矢理誰かを誘ったか、一人だけで飲んだのかはっきり覚えていないが、引き返した事は30年経った今も良く覚えている。
始末が悪いのは、往々にして赤提灯だけでは終わらない事だった。 酒で盛り上がってついついカラオケ・スナックの門戸をくぐる。 得意の「前川清の花の時・愛の時」だの、「松田聖子のSweet Memories」だのを歌い、酔いは最高潮に達し、最後に「布施明のマイウェイ」で締める頃には0時を回っている。
日によっては更に時が進み、昼間の仕事時間と勝負できるくらい長い夜の世界が繰り広げられる。 赤提灯は私の会社員人生で切っても切れない重要な部分を占めていた。 家族の事は忘れ酔いしれていたあの時間を、会社での仕事を円滑に進める為のコミュニケーションの場だと豪語してそんな生活を美化していた。
その後、私は還暦を迎えてから会社員をやめた。 自分で個人会社を立ち上げて基本的に自宅で仕事をする様になって、突如赤提灯と縁が切れた。 毎晩テレビの前で晩酌を楽しむ様になった。 妻と一緒の飲み時間が日々続く様になったのは初めての事だった。 また、仕事で地方に出かける時はホテルに泊まるが、どこに行っても繁華街から離れている事が多く、結局テレビを観ながら部屋の冷蔵庫のビールを飲んでおしまいになる。
元よりアル中ではないので、飲まなきゃ飲まないでも身体がアルコールを欲してどうにもならない訳ではない。 かつて駅から電車に乗らずに改札を出て飲み屋に行ったのは、単なる習慣だったようだ。
こんな日が続くようになってから15年近く経つが、今では晩酌自体もやめてノンアル・ビールを飲む様になり、赤提灯は完全に遠い過去の想い出話の世界の物になってしまった。
30代の始め滞在していたスペインでは、朝から居酒屋でワインやビールをコーヒー替わりに引っ掛けたり、会社の休憩室にビールやワインの自動販売機があっても、退社後毎晩家族そっちのけで酔っぱらっている人達の光景にはほとんど出くわした事は無かった。
(カバー写真は、学生達と一緒に作った果物を漬け込んだワイン「サングリア」を公園に持ち出して頂いている所・・・40年前)
一度スペインでお世話になった大学の先生夫妻が来日した事があって、その時にいつもの赤提灯とカラオケ・スナックにご招待した。 カラオケ・スナックで二人は「日本人はみっともない酔っ払いだ。こんな世界はスペインで見た事ない!」といつもの様に歯に衣着せない口調でスペイン人らしく軽口をたたいて来た。
あの朝から晩までワインだビールだと飲んでいるスペイン人に「みっともない酔っ払い文化」と言わしめた日本。 「あんたには言われたくないよ」と思ったが、確かにスペインでは泥酔してくだを巻く人の姿はほとんど記憶にない。
赤提灯は日本が誇る独特の文化だが、赤は赤信号だったのか?