私は18歳で運転免許を取ってからずっと色々な車を乗り継いできた。 全部で10台くらいだが、すべて安物中古車である。 一番安かったのは3万円、一番高かったのでも150万円。 基本的にポンコツ車なので、最後は売り物にはならないので廃車である。
最初の車は大学に入った1972年頃、友人から3万円で買った真っ赤なホンダN360(通称エヌサン)。 文字通り排気量360ccの「元祖」軽自動車だ。 2気筒でなんと「空冷」エンジン。 当然エアコンはないし、驚くなかれまともなヒーターもなかった。
まともなと言うのは、あるには有るのだが、足元の前方にある20センチ四方位の扉をレバーを操作して開けるだけだ。 扉を開けるとその前にエンジンが見える。 空冷エンジンにはオートバイのエンジン同様、放熱フィンが付いている。 車を走行せると前から入って来る風で自然空冷する仕組みだが、そのフィンを通って少しなまぬるくなった風を、足元から車内に入れると言う仕組みだ。 今では当たり前の送風ファンすら装備されてなかったのだ。
ホンダのN360 少し車高を下げていた
エンジンのガスケット(密閉する為にエンジンの部品同志を挟む厚紙のようなパーツ)が古くなると、とにかく車内は排気ガス臭くて大変だった。 そして真冬になると暖かい風は望めないし、信号待ちではその生ぬるい風すら入って来なかった。
また、トランスミッションはマニュアル4速だが、「ドッグ・ミッション」と言って、当時レーシングカーに使われた原始的な切替機構で、ギアを変えるたびにダブル・クラッチと言ってクラッチを2度踏まなければならなかった。 つまり現在のギアからニュートラルに入れる時に1度踏み、ニュートラルから新しいギアに入れる時に、もう一度踏みながらしなければならず、大変操作は忙しかった。
でも大学生時代だった当時、夏休みに福島出身の同級生の帰省に合わせ、重たい男を二人乗せて道中に会津地方だの見物しながら福島まで無事走ったのだから大したものだ。
その後はワゴンを数台乗り継いだ。 日曜大工で自分でキャンピングカーに改造したり、趣味のアマチュア無線カーに改造したりした。 元々中古車であったので、購入して引き取って自宅に着くと、迷う事なくすぐに電気ドリルの刃を立てて穴開けをして改造を始めた。 まさに「大人のおもちゃ」だ。
子供が少し大きくなって、女房がパートを始めてしばらく経った1995年頃、彼女が初めての車を買って来た。 細々とパートで貯めた金20万円をはたいて買って来た車の色は、私の第一号車ホンダN360と同じ真っ赤だ。 ダイハツの軽自動車ミラ(MIRA)だった。 車体の形もなんとなくホンダN360と似ていた。
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彼女の第一号の車が私の第一号車と同じような色・外観の車となった事で、その車にはすごく親近感を覚えた。 このなけなしの小遣いで買った可愛い車を、いつからか「赤ベンツ」と呼ぶようになった。 出身はボロ車でも気持ちは最高級車「ベンツ」だったからだ。
この車はオートマの660CCと言う立派な軽自動車だったが、エアコンはなかった。 当時は今ほど暑くなかったし、初めて乗る車にしては文句なしだった。 その赤ベンツ、車屋さんから乗って帰って来たその日、庭先に駐車してあった私のワゴン車の隣に駐車しようとして、彼女は私の車のフロント角に正面衝突させて、フロント・バンパーに生涯ベコンと大きくへこんだ傷を残す事となった。 彼女はこの赤ベンツを8年近くも乗っていた。
元が20万円の中古車だったので、最後はかなりボロくなり、踏切を渡る時途中でプスンと言って止まったらどうしようと心配していたらしい。 私は覚えてないが、そう訴えた彼女に対し「その時は車を捨てて、線路の上を電車に向かって手を振りながら走れ!」と言ったらしい。
彼女の心配通り、車はどんどん老朽化し、最後は何処かに出かけた帰りに、自宅の近くで遂にマフラーが抜け落ちて、バリバリバリバリと凄い音を立てながら走り、近所の奥様方がみんな飛び出して来たそうだ。 ついに赤ベンツは一生を終える事になった。
今は彼女は同じダイハツの軽自動に乗っている。 新古車で買ったので、買って何年も経つがすこぶる快調だ。 やはりダイハツとは縁がある様だ。 私も直近まで仕事で使うのでSUVの中古車を10年間乗っていたが、仕事もやめたので近々軽のワンボックスを買うつもりだ。 もちろん数十万円程度の中古車だ。
生涯に一度くらい新車に乗る事もあるのかなぁと思って来たが、遂にそれは単なる夢想に終わりそうだ。
