若い頃から自分で何んでも出来ると自信を持っていた。 もちろん自分が万能だと思っていた訳ではないのだが、「人は人、自分は自分」と考え、他人の意見や存在を特別大切には思わなかった。 俗に言う自信家だったのだと思う。
しかし、人生を振り返ると自分が本当に大きく躍進できた時には、陰に他人の力があった事に気付く。 その時は自分だけの力でそう出来たと考えていたが、過去を振り返りよくよく考えてみると、その時出逢った人のお陰で自分が飛躍できたと言う事が少なからずあった。 それが縁である。 それはその出逢いがなかったら今の自分はなかったとまで思える物だ。 にも拘わらず、すべて自分の力で生きて来れたと考えていたのはまさに思い上がりだった。
更に良く思い起こしてみると、出逢いがあったのに気付かないままそれをやり過ごし、そのチャンスを活かす事自体ができなかった事がいくつもあったと思われ、今更の様に自分の近視眼的な愚かさを思い知る。
どうやら出逢いとは必ず気付く物ではないようだ。 自分がどれだけ心を開いているか、その謙虚さに係っている。 自分に自信があっても謙虚さがある人は、縁との出逢いを見逃さないが、心を開く謙虚さがない人は多くの出逢いとすれ違っている。
私は謙虚さとは程遠い「自己中」な自信家だったので、幾つもの貴重な縁との出逢いを見過ごして来たのではないかと思う。 こんな自分が初めて出逢った縁を大切に迎え入れる事ができたのは、サラリーマンを辞めて個人事業を立ち上げて、人生で初めて自分が本気になって仕事に取り組んでいた60代の時の事だ。 全身全霊を仕事に傾注していた自分だったから、謙虚に心を開き天の声が聴こえたのだと思う。 そしてそれは本当に自分を救ってくれ、今の自分につながっている。
人間自分一人にできる事には限りがある。
それは自分に能力がないのではなく、一人の人間が生きる世界の範囲には限りがあると言うことだ。 人ぞれぞれが生きている異なる世界と融合できたなら、その人はその分大きな世界で生きた事になる。
他人との縁を大切に生きる事、それが結局自分自身を大切に生きる事になる