孫に気付かされた子供への愛

私は二十五歳で妻と知り合い、二十八歳で結婚し、娘が生まれたのは二十九歳、息子が生まれたのは三十歳だった。 外から見れば、万事順調に家庭生活が始まったように映っただろう。 だが実際には、すべてが絵に描いたように進んでいたわけではない。 学生気分のまま結婚し、何の苦労もなく次々と子供が生まれた「幸せ」を、私はほとんど理解していなかった。

 

私には「父親としての器」がまだ備わっていなかった。 三十歳に届こうという年齢になっても、心は自由気ままな青春時代の青年のままだった。 歳相応に育っていない未熟な人間であり、当然ながら父親としても未熟だった。 自分が好きなように生きることで頭がいっぱいだったのである。

 

結婚生活の「付属品」のように誕生した子供たちは、生活の中心になることはなかった。 もちろん家族として一緒に楽しく暮してはいたが、子供たちが主役になることはなかった。 仕事や自分の趣味が第一で、子供たちはその狭間で生きなければならなかった。

 

私が部屋のオーディオシステムを鳴らしてカラオケを歌っていると、よく小さな娘とその弟が並んで座り、一曲終わるたびに盛大に拍手をしてくれた。 だから、テレビでその歌のオリジナル歌手が登場すると、ふたりは声を揃えて「あっ、パパの歌だ!」と言ったものだ。

 

もし今、あの頃に戻れたら、とにかく毎日子供を抱いて暮らすだろう。 子供たちに「ああしろ・こうしろ・それは駄目」とブレーキやアクセルを交互に踏み続けるようなことは、絶対しないだろう。 

 

今は、何かあればDVだと騒がれるが、昭和のあの時代は、言うことをきかない子供を叩いたりお仕置きをすることが普通で、誰もとがめなかった。 また、今のように父親が抱っこ紐を首から下げて小さな子供を抱いて歩く姿はまったく見られなかった。 もしそんな姿を見たら、誰でも目を丸くして立ち止まったに違いない。

 

事実、若い私の義弟が抱っこ紐で子供を抱いて帰省したとき、義母は驚いて「新人類だ!新人類だ!」と言って騒いでいた。 そういう時代だった。

 

私が悔やむことのひとつは、子供たちの可能性を自由に伸ばしてあげようとしなかったことだ。 野球をやりたい、ピアノを習いたいという子供たちの願いを「飴」にし、言うことをきかないと休ませるという「鞭」にしたことがしばしばあった。 なんという親だったのだろう。

 

今、可愛い孫たちを見ていると、「この子には絶対に才能があるから、あれを習わせたら?これをやらせたら?」と、ついおせっかいな口出しをしてしまう。 その気持ちを子供たち自身に向け、思う存分可能性を伸ばしてあげていたら、能力だけでなく、人間的にも変わった存在に成長し、より幸せになっていたかもしれない。


朝の散歩中、小学生の集団登校の列に遭遇すると、黄色い安全カバーをつけた身体に比べてひときわ大きなランドセルを背負い、一生懸命歩いている一年生が目に入る。 お兄ちゃんお姉ちゃんに挟まれて歩く姿に、思わず「可愛いなぁ」と声が漏れてしまう。 短い脚をちょこちょこ動かして歩く様子は、駆け寄って抱きしめて守ってあげたいという感情を呼び起こす。 人様の子なのに、可愛くてたまらないのだ。

 

アルバムを開き、子供たちの幼い頃の写真を見ると、「どうしてあの頃、こんなに可愛い子をもっと大事にして、抱きしめて可愛がってあげなかったのだろう」と、父親としての至らなさへの静かな悔いが胸を締め付ける。 子供たちに過去の「申し訳なさ」を伝えたことがあるが、「今さら言われても関係ないし、第一覚えてない」と笑われてしまう。

 

可愛いという感情は本当に興味深い。 若い頃から、こうべを垂れ、尻尾を振りながら「くんくん」と鼻を鳴らして寄ってくる「犬」を見ると、無条件に可愛いくて優しく撫でてあげずにはいられなかった。

 

妻のお腹に初めての赤ちゃんが宿ったとき、思わず「頼むから犬の子を産んでくれ」と言ったことがある。 後日その話を妻から聞いた娘は、「その赤ちゃんて、私だよね?」と言って、一瞬言葉を失っていた。

 

そんな私も、歳を取るうちに、いつの間にか小さな子たちを見ると心から可愛いと思い、たまらない気持ちを抑えられなくなっていった。 私も「成長」し、ようやく父親の資格が十分に育ってきたのだ。

 

しかし、いま、私の目の前にいて、その愛を一手に受け止めているのは、子供たちではない。 可愛くて目の中に入れても痛くない、孫たちである。

 

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