先日、久しぶりに都心に出かけた。 池袋の東京芸術劇場で開催されるコンサートを聴きに行くためだ。 都心にはできれば行きたくないのだが、コンサートだけは仕方が無い。 私の住む埼玉県飯能市から池袋までは、かつて通勤で毎日乗っていた電車で一時間ほどの道のりである。
通勤電車から解放されて十六年が経つ。 その間に電車も新型になり、走行音はより静かになり、車内も快適になった。 久しぶりに電車に乗り、車窓を流れていく風景を眺めていると、「この電車はこんなに速かったのか」と感激するから不思議だ。
今は乗ることはないが、通勤時間帯の電車内の様子をテレビなどで見ると、昔とは大違いで実に快適そうである。 昭和の時代は就労人口が多かったうえ、鉄道網や列車の構造自体が未発達で、まさに「通勤地獄」だった。 押し合い圧し合いで、吊革につかまっていても座っている乗客の上に身体がせり出し、倒れ込まないように踏ん張る必要があった。
スマホいじりなどは絶対に不可能だった。 若い女性は特に悲惨で、痴漢以前の問題として、男性に挟まれて身体は押しつぶされ、揉みくちゃにされ、息をするのも大変なようだった。 都心のJRの駅には「押し屋」と呼ばれる駅員が車両のドアごとに配置され、乗り切れない乗客を無理やり車内に押し込んでいた。
駅の改札口の景色もまったく変わった。 今はスマホをかざして「ピッ!ピッ!」と快適な音を響かせながら次々に取り過ぎていく。
昔の改札口の風景は、何人もの駅員が改札口通路ごとに立ち、右手に持ったハサミを「チャッチャカ、チャッチャカ」と軽快に鳴らしながら切符を受け取り、リズムを崩さず「チャッ!」と端を切り落とすという、まさに職人技があった。
乗客が通ろうと通るまいと、駅員たちは貧乏ゆすりのように「チャッチャカ、チャッチャカ」とハサミを動かし続け、その音がこだまするのが改札口の風景だった。
池袋の地下道は乗り入れる路線も多く、その混雑は凄まじい。 私は東口から西口へと地下道を横断したが、途中に改札口や連絡通路がり、人の流れは一定ではなく、まっすぐ進むことなど到底できない。 通勤地獄から解放されて田舎生活にすっかり慣れてしまった私は、発狂寸前である。
ふと気づいた。 これだけの人並みの中を長い距離歩いているのに、ただの一度も他人の身体に触れていないことだ。 皆、必死になって急ぎ歩きしているのにである。 人間の能力・反射神経は恐るべしと感心した。
昔はそのようなことを考えたこともなかった。 日常から離れて、改めて体験してみて、初めてわかることなのだろう。
しかし、都心に足を踏み入れなくなって十数年が経つと、かつてあれほど慣れ親しんでいた世界が、異次元の未知の世界のように感じられる。 実際、以前と変わったものが多く、田舎から出てきた「おのぼりさん」そのものだ。
コンサート開始前、同行した妻は友人たちとランチの約束があったので、私はひとりでデパートの中を散策した。 「やはり並んでいるものが違う」と感心して見回っているうちに腹が減ったので、エスカレーターを乗り継いで上層階のレストラン街へ向かった。 土曜日とあって、どの店も入り口前に順番待ちの列ができている。 一瞬、気後れしたが、腹はすく一方だ。 並ばずに入れる店なら何でもよかった。
三フロア目に、ようやく並ぶ人がいない中華料理店を見つけた。 美味しくない証拠だと思ったが、やむを得ず入店した。 ぐるぐる歩き回ってもう何でもいいと思っていたので、深く考えずメニューも見ずに、店頭のポスターにあった一見おいしそうに見えた「麻辣湯」を注文した。 席まで案内してくれた店員が、「他には?」と尋ねるので、なぜそんなこと聞くのだろうと思いながら「それだけでいい」と答えた。
やがて、目の前に「麻辣湯」が届いた。 現物はあまり美味しそうには見えない。 とにかく腹に詰め込もうと食べ始めたが、すぐに異常に気づいた。 箸に麺が引っかからない。 わずかに引っかかったのは、春雨だった。 そこでようやく気付いた。 それは、麻辣「湯」であって、麻辣「湯麺」ではなかったのだ。
まったく空腹は満たされない。 外食など今や滅多にしない身で、得体のしれないレストラン街をうろつくものではない。 結局デパートを出て、街中のコンビニで調理パンとコーヒーを買い、広場のベンチに腰掛けて食べた。
かつては、日本の中心・東京大手町まで通勤し、夜は神田、有楽町、銀座を闊歩した典型的な大都会サラリーマンだった面影は、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。
四十数年前、今住んでいる飯能市に土地を買って家を建てるため、勤めていた銀行の行員向け共助会住宅融資を申請したとき、すぐには決裁が下りなかった。 「そんなど田舎に家を建てて通えるわけがない。すぐに売却することになる。」と思われたのだ。 私は「通勤が大変であることを理由にして売却したりはしない」と確約して、ようやく決裁を得た。
実際、大手町までの通勤時間は、片道1時間半ほどだった。 しかし五十代で銀行を退職後、勤めた別の会社は千葉県市川市にあり、通勤時間は片道二時間半近くかかった。 さすがに大変だった。
六十歳で個人事業を始めて以降、私がいかに電車を嫌い、都心を避けてきたかは、このサラリーマン時代の歴史をたどればわかる。 毎日通勤地獄と闘い、コンクリートジャングルで働き、退廃した夜の街をさまよい、終電で夜半過ぎに飯能市の自宅へ戻るという生活。 世界的にも、こうした状況はほとんど例がないだろう。
私は「超都会」と「ど田舎」を生きてきた。 そしてその二つをいつもつないでくれたのが通勤電車だった。 その電車も随分進化して、今と昔では乗り心地は雲泥の差である。 駅も街もすべて近代化され、以前の面影は残っていない。
二つの世界をつないでくれた鉄道に感謝しつつ、今、こちらの端で生きている幸せをありがたく感じている。