私は、基本的に完璧主義で、手掛けた物は途中で投げ出すことはしない。 だから何亊もあらかじめ先に手を打って、完璧に成し遂げることに万全を期そうとする。 それは私の性分である。 今日はここまでで良いとされるものがあれば、必ず明日の分まで片づけておく。 何時までに片づけなければならないことがあれば、その一時間前には終えておく。 提出期限が定められているものはその内容の重さによって異なるが、最短でも二、三日前、重要なものなら一カ月前には完成させておく。 待ち合わせでも、コンサートでも、約束時刻や開始時刻の1時間前には現場に到着している。
心配性なのかもしれない。 だがギリギリで追われてドタバタするのがどうにも耐えられないのだ。 よく言えば段取りが良く、仕事が早いと言うことになる。
この点においては、妻とは正反対だ。 妻はギリギリになって追い込まれて初めて重い腰を上げ、「間に合わない!」と悲鳴をあげる。 最後に「助けて!」と私に泣きついてくる。 これは毎度のことである。
しかしひとつだけ私と妻の立場が逆転する場面がある。 それが、部屋の掃除だ。 私は、あの「ガ~~~ッ」という掃除機の音が大嫌いだ。 整然として落ち着いた状態の頭の中がかき乱され、破壊しされそうになる。
だから、階段の下から「カタ!カタ!ガ~~~ッ!」と掃除機をかけながら登ってくる音がすると、途端に憂鬱になる。 「どうかそのまま階下にUターンして戻ってくれ」と願うが、ほとんどの場合、二階まで上がり私の部屋のドアが開けられる。 「掃除していい?」と尋ねられる。 以前は「後でいい」と謝絶したこともあったが、さすがにそれでは妻が不憫に思えて、最近ではあわてて部屋を飛び出すことにしている。
私の部屋には小さな縦長の掃除機が一台、電源につないだまま、すぐ後ろに置いてある。 昔は工作や機械を使った作業をよくしていたので、必要なときにすぐ使えるようにしているのだ。 ゴミが出たときには、間髪を入れず「ガ~ッ」と一瞬で吸い取る。 だから妻に掃除して貰う必要はないし、頼むつもりも絶対ない。
先日、私が調べものに集中しているとき、妻がふらりと部屋に来て「これから掃除でも始めるかな」と言い出した。 私は慌てて「ここはいいからね」と念を押した。 そのやりとりの中で、私たちの間に決定的な考え方の違いがあることがわかった。 私は「汚れたら掃除をする」と考える。 しかし妻は「汚れないように掃除をする」というのだ。 似て非なるこの二つの考え方。 そこに、生活に対する基本的なスタンスの差がある。
彼女が掃除を始めると、椅子や置いてある物を動かしながら、隅から隅まで徹底的にやる。 時間はかかり、あの「ガ~~~ッ」で私の精神は破壊され、終わった後には、動かされた椅子などを元に戻すという面倒が待っている。 妻は言う。 「どこの家庭に、奥さんが部屋を掃除するのに旦那の顔色をうかがって『許可』をとるところがあるの」と。 もっともな話である。
「ありがたく感謝しなさい」ということなのだろう。 しかし、掃除に関してだけは、私はどうしても「汚れる前に(汚れが見えるようになる前に)」という発想にはなれない。 考えて見れば不思議だ。 身体が汚れているのが見えなくても、悪臭がしなくても、私は毎日風呂に入るのに。
おそらく私は、現実に汚れが発生したときに綺麗にすることを掃除と考えているが、妻は、精神的に整った状態を保つために掃除をするのだろう。 そういえば、彼女は毎日、「洗濯物はない?シーツ・パジャマは洗わなくていいの?」と聞きにくる。 掃除も洗濯も彼女にとっては「汚れる前に整える」という同じ行為なのだ。
「自然や神仏を大切にして姿勢正しく生きたい」という彼女の誠実な姿勢がそのまま表れているのかもしれない。 その気持ちを、日常のさまざまな行動にも持てば、追い込まれて悲鳴をあげることはないのに ―― と私は思う。 だが、これもまた彼女の性分なのだろう。