カメラの進化が作った映像戦国時代 ─ アマとプロの境界線

私はアマチュア・カメラマンとして今までの人生の大半を過ごした。 そして現役最後の15年間近くをプロ・カメラマンとして過ごした。

 

アマチュア・カメラマンとして本格的に撮影を開始したのは、1970年にアサヒ・ペンタックスSPと言う、フィルム式一眼レフ・カメラを入手した時だった。 あの時代は一眼レフ・カメラまで持ち出して写真を撮る者は特別な存在で、写真マニアとして認識されていた。

 

1990年に入ってキャノンからPower Shotシリーズと言うコンパクト・デジタル・カメラが発売されてからは、旅行・出張先で手軽に撮れるこの小型コンデジに乗り換えて、永年愛用して来たフィルム式一眼レフ・カメラとはお別れした。

 

2000年になってカメラ付き携帯電話が生まれ、あっと言う間に広まり、2010年に入ってiPhoneなどのスマホには必須の機能となって、その後もモデル・チェンジの度にカメラ機能は進化して来ている。 我が国では、それと同時にハイ・アマチュア、プロ用のデジタル式一眼レフ・カメラも次々に開発され、世界で圧倒的な最大のシェアを誇っている。

 

1985年にスペイン留学していた時も、現地では「NIKON」と「CANON」は高級フィルム・カメラの代名詞として使われていた。 私が持って行ったアサヒ・ペンタックスSPなどは羨望の的だった。 実際、スペイン一周旅行中にバルセロナでバル(居酒屋)に寄ってコーヒーを立ち飲みした時にカウンター下のテーブルに置き忘れたまま立ち去って、3分も経たない内に気が付いて戻ったが、既に跡形もなかった。 お陰でそこがたまたま大都市だった為、高級日本製カメラを取り扱っている店があり、アサヒ・ペンタックスSPも売られていた。 背に腹は代えられず、日本での価格よりはるかに高い値段で買う羽目になった。

 

海外の何処に行っても「NIKON」と「CANON」は本当に高級カメラの代名詞であり、デジタル時代になってからはそれに「SONY」と「PANASONIC」が加わっている。

 

2010年代に入って私は南太平洋の島国、フィジーで働く事になった。 そこで美しい自然に出逢った事がきっかけでプロ・カメラマンへの道を歩み始める事になった。 タイムラプス・フォトグラファーと言う大変特殊な分野のカメラマンだ。 カメラはCANONNIKONのプロ用デジタル一眼レフ・カメラになっていた。

 

私はタイムラプスと言う新しい特殊な分野で活動して来たので、投入した新しい技術すべてが日本の歴史の中では初めての物であり、私は独りの静かな世界で道を切り開きながら進んで来る事が出来たが、ふと普通の写真(スチル写真)の世界を観ると大きな異変が起こっている事に気が付いた。 それは無数のアマチュア・カメラマンの登場だった。

 

その異変を起こしたのは言うまでもない高級スマホの普及である。 「一億総アマチュア・カメラマン」となってしまったのだ。 スマホの撮影機能は、アマチュア用の一眼レフ・カメラと較べて、レンズ交換はできないとか決定的な違いはあるが、一見した画質面では大きな遜色はなく、誰でもどこでも撮影できるポータビリティが素晴らしいナイス・ショットを次々に産み出す事になった。

 

この結果、スチル写真(ビデオではない普通の静止画像の写真)のプロ・カメラマンは巷に溢れる数多くのスチル写真の中で、プロらしいしっかりとした独自性を際立たせるために、従来にも増した努力が求められるようになった。

 

交通事故や火災、地震など即応できる誰もが持っているスマホでのスチル写真は、動画と共に圧倒的にすぐれた機動力を持っている。 どんな優れたプロ・カメラマンでも重たい機材をいつも抱えて持ち歩いている訳にはいかない。 実際、TVニュースなどで「視聴者提供」と記されたスチル写真や動画が頻繁に登場するようになっている。

 

SNSにはユーザーが撮影した動画やスチル写真が飛び交っている。 十分なクォリティに達した写真が身近な物となり、これ以上特別優れた画質より、話題性・ニュース性を評価する目が増えて来た。

 

今や生成AIが誰の手にも届くようになり、見事な疑似動画まで作り出されている。 「映像の氾濫の時代」が始まった。 一般人の世界の中でも、もはや映像は一部のアマチュア・カメラマンだけの物ではなくなった。 それと共にプロ・カメラマンとの境界線もあやふやになって来た。 まさに戦国時代だ。

 

プロがプロ・カメラマンとして生きて行く為には、相当な努力が必要になって来た。 凄い時代になって来た。

 

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