歳を重ねて挑む、終わりなき課題 ~今の歳でなければ出来ない事~

やるべき事が決められている学生や社会人時代は、黙々と決められた事をやって来た。 出来不出来はともかくとして、それが課題として与えられていて、それを全うする事が責務だった。

 

学生時代は小学生時代から宿題と言う課題が与えられた。 高校時代ともなるとそれは自分の進路として立ちはだかって来た。 大学時代は、選んだ進路によって勉学に励んだり、練習や訓練に励む日々を歩く学生もいれば、旅やアルバイトなどで人生経験を積む学生など色々な体験を通して社会人への道筋をつける事になった。

 

社会人となってからは、多くの人は企業に就職し否応なしに与えられる課題の嵐に揉まれる日々を過ごす。 研究者、学者の道を選びその道に必要な知識の吸収に邁進する人もいたり、若い20代は進んだ道によって、数えきれないほどの自己研鑽の選択肢が与えられる。 常にその歳なりに期待される役割があり、各自が力を振り絞って、経験を重ねて歳をとって行く。

 

やる事、やるべき事は常に課題として決められていて、何をすべきか迷う事はない。 それをやる・やらないの選択肢はあったが、やらなければ大概の場合その後に悪い結果が降りかかって来る仕組みになっていた。

 

今の時代、多くの人が60歳から70歳にかけて現役を引退するが、引退と同時に人生で初めて与えられた課題から解放される。 そこで多くの人が何をしようかと考える様になる。

 

もちろん現役を引退して課題から解放されてからは、「後はのんびりと気の向くまま過ごす」と言う選択肢もある。 ただそれには物足りなさを感じる人の方が多い様だ。 やはり社会とのつながりとか、究極的には「生きがい」が欲しい。 そして多くの場合は積極的な行動が、その気持ちを満たしてくれる事になる。 それは自分で自分に課題を与える事だ。

 

いざ何をやろうかと考えても、すぐに思いつく人は中々いない。 永年課題とは与えられる物、あるいはやらなければいけない物だったからだ。 この段階で彷徨っている人は多い。 現役引退後の人と話をすると必ずその話題になる。 多くの人から同様に出て来るのは「ボランティア」と言う言葉だ。 だがそこから先は意外と簡単には具体的な話が進まない。

 

私は今まで彷徨ったと言う経験はあまりない。 仕事にしろ遊びにしろ、これと思ったらすぐに喰いついて夢中になってしまうタイプだったからだ。 まぁほとんどの場合は遊びだった。 と言う事は、お恥ずかしながら仕事で与えられた課題にも、まともには向き合って来なかったと言う事だ。 もともと「与えられた物に素直に従おう」と言う従順な生き方はして来なかった。

 

半年前に現役を引退するまでの、現役最後の10数年は趣味だった物を自営の仕事にして来た為に、引退と同時に趣味と仕事を同時に失う事になった。 そこで人生で初めて課題と言う物を探す様になった。 私はじっくり考えるより、手当たり次第とにかく手を付ける方なので、あれこれとにかく始めてみた。 そんな中で、いつの間にか自分がある事にかつての様に夢中になっている事に気が付いた。 それが「書く事」だった。

 

取り敢えず人生を振り返りながら筆を執る事にした。 エッセイを書く様になった。 今は一日の大半をそれに関わる事で過ごしている。 私のエッセイは、大雑把に言うと、「好き放題・勝手放題に生きて来て、少しは反省している今の歳でなければ書けない事」がコンセプトだ。

 

例えば5年前の私だったら、まったく何も書けなかっただろうと思う。 書ける自分が想像できない。 書けないと言うのは、単に書くテーマが見つからないと言う事よりか、自分の心の中の色々な思いの整理状態と、書く事自体に対する意欲やエネルギーの問題だ。

 

また反対に、私がまだ生きていてとして、5年後に同じものが書けるかと問うたらその答えは全く分からない。 今やっている事が「今の歳でなければ出来ない事」だからだ。 今の私が自分を突き動かしているものがいつまで続くのかも分からない。

 

ただ、自分への課題は「今の歳でなければ出来ない事」と言うのはこれからも変わらないと思う。 私は新しい物好きだし、歳をとって人間としてのパフォーマンスが落ちても、色々な事に興味を持って手掛けようと考えるかもしれない。

 

何か新しい事を始めようと思う事があっても「今の歳でなければ出来ない事」は無条件に自分に味方してくれる。 これが、生涯持ち続けて行く事が出来る自分への課題だと思っている。

 

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