書くことが心の一等席を並び替える

もう私の中では済んだことなのだが、かつて自分が感じていたことを、今朝のNHKの番組で医学的に肯定されたような気がした。

テーマは「嫌なことの忘れ方」。

 

その中で特に興味を惹かれたのは、ある脳神経外科医の話だった。

 

人はなぜ嫌なことを忘れられないか。

その問いに対し、医師は「扁桃体が過剰に活動するから」と説明していた。

 

脳の奥、耳の少し上あたりにある扁桃体は、恐怖や不安を感じたときに働き、人間が危険を回避して命をつなぐために備えてきた部位だという。

 

その扁桃体は、恐怖・不安・後悔といった「生存に関わる記憶」を強く保持しようとするため、過去の過ちや家族への負い目、自分への失望などは、放っておくと何十年も心の中で鳴り続ける厄介者になる。

 

番組では、嫌な記憶を紙に書き出すことを勧めていた。

整理する時間が扁桃体の反応を抑えるため、素直に自分の感情と事実を書き出す作業が有効なのだという。

完全に音を消すことはできなくても、意識しないでいられるほどに音量を下げることはでき、最後に「明日から自分にできることは何か」を考えるのだそうだ。


実は昨年の八月から今年二月までの半年間、私は夢中になってエッセイを書き続けた。

 

自分の人生で起こしたこと、起きた事実を振り返り、自分にとことん素直になろうと努めながら、あらゆることを書き出した。

基本的には反省と償いの言葉であり、その多くは妻や家族に対する懺悔の時間だった。

 

ところが、ちょうど半年が経った「四十六回目の結婚記念日」に書いた一篇で、私はふっと解き放たれた。

何をしたわけでもなく、何をされたわけでもない。

ただ突然、心が楽になったのだ。

 

今朝の扁桃体の話を聞いて、「ああ、あれだったのか」と思った。

私は人生で多くの過ちを犯し、人を傷つけてきた。

そのため、扁桃体の活動を鎮めるには、たくさんの時間と行動が必要だったのだろう。


その後も、私はすっかりエッセイを書くことが習慣となり、やめられなくなって現在に至っている。

 

解放されて心もすっきりと楽になってからの一ヶ月間は筆を置いていたが、半年間、毎日頭を使って真剣に考え抜き、ペンを執ってきた自分には変化が起きていた。

書くことで「考えがまとまる」ことを知ったのである。

今までとは違う、解放された気持ちで、自由に自分の思いを書き出したくなったのだ。

 

私は元来、小説などの読み物を手にすることは稀で、書く才能もない。 そんな自分が、たとえ面白くもないエッセイであっても、わざわざ文章を書くようになるとは思ってもみなかった。

 

書くことで頭を整理することは、特に私のように「感情だけでなく、論理で納得したい」と考える人間には効果が大きい。

 

書く事によって、忌まわしく不要な記憶を頭の隅に追いやり、代わりに自分を前向きにしてくれるものを洗い出し、心の一等席に並べることができる。

 

こんなこと、もっと早く気がつけばよかったと思っている。

 

コメントする