商店街を練り歩く昭和の音楽隊 ― ちんどん屋

テレビでサン・サーンスのクラリネット・ソナタが流れていた。

軽やかに転がり出るような音色を聴いているうちに、七十年近く前の記憶がふっと浮かんだ。


子どもの頃、街角でよく見かけた「ちんどん屋」の華やかな姿である。

 

ちんどん屋とは、鉦(チン)と太鼓(ドン)を組み合わせた「ちんどん太鼓」を鳴らしながら街を練り歩き、商店や催し物の宣伝を行う日本独自の広告業のことだ。

 

今では滅多に見かけなくなったが、昭和27年(1952年)に生まれた私が見たのは、まさにその最盛期の姿であった。

 

地元の商店街を、派手な衣装を身にまとった一団が、「チンチン・ドンドン・チンドンドン!」と太鼓と鐘を鳴らし、クラリネットで明るく楽しいメロディを奏でながら練り歩く。

その姿に、子どもだった私は釘付けになった。

 

当時はテレビ放送が始まったばかりで、どの家庭でもテレビが見られたわけではないし、見られたとしても現代のような娯楽番組はほとんどなかった。

ちんどん屋は、日常生活で出会える唯一の「娯楽ショー」だった。

 

商売の広告宣伝でありながら、芸として見て楽しく面白い。

子どもだけでなく大人も足を止めた。

テレビが全家庭に普及する前のラジオの時代、ちんどん屋は音だけでなく視覚でも訴える強力なコミュニケーション手段だった

派手な色彩の衣装は、昭和の大衆文化を象徴する世界でもあった。


ちんどん太鼓に合わせてメロディを奏でる楽器は、まずクラリネットとサクソフォンである。

 

なぜそのような楽器が選ばれたのかには、明快な理由がある。

 

・ 屋外でよく通る華やかな音であること。

・ 小型軽量でストラップで吊れ、歩きながらでも演奏しやすいこと。

・ 旋律を自由に操り、軽快なメロディを演奏するのに適していること。

・ 音域が広いこと。

 

街頭宣伝に最適な特性が求められたからだ。

バンジョーやトランペットが使われることもあった。

アコーディオンが加わることもあったが、重たく可搬性に難があった。

その点、クラリネットとサクソフォンは「可搬性」「音量」「旋律性」の三拍子が揃っており、もっとも多用された代表的な楽器だった。

 

また昭和初期の街頭音楽はジャズの影響を強く受け、流行歌の伴奏もサクソフォンが多用されていたので、まさに時代の楽器でもあった。


ちんどん屋が奏でていた定番の曲は、どれも親しみやすく、大衆を惹きつけるものばかりだった。

 

ジャンルは広く、童謡・唱歌から軍歌までさまざまだった。

 

「赤とんぼ」

「汽車ポッポ」

「ふるさと」

「東京ラプソディ」

「銀座カンカン娘」

「青い山脈」

「港町十三番地」

「憧れのハワイ航路」

「二人の銀座」

「ソーラン節」

「花笠音頭」

「セントルイス・ブルース」

「軍艦マーチ」

「同期の桜」


私は、ちんどん屋は遠い昔の記憶の中にしかないと思い込んでいた。

ところが、今でもちんどん屋は立派に生きていた。

 

勝手に感傷にひたっていたが、世の中には心ある熱心な人々がいるものだ。 絶えることなくちんどん屋を守り、継承してきた人たちがたくさん存在していることに驚かされた。

 

【ちんどん通信社】

日本最大級のプロのちんどん屋集団で、海外公演でパレードまで多数行っている。

また全国規模の「ちんどん博覧会」を主催し、昭和の商店街の空気を再現する人気イベントとなっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=x2872Feu2rY

 

 

【チンドン芸能社】

プロのちんどん屋集団で、各種イベントやキャンペーンなどで活動をしている。

 

また春には、富山で「全日本チンドンコンクール」が行われている。

昭和 30 年に開始されて以来、ほぼ毎年開催されており、富山市中心部では大パレードが名物となっているそうで、地元では誰でも知っていることだろう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=TrcHQLOwpeU

 

 

ただし、目的は従来の純粋な広告業から、文化・イベント的な存在へと変わってきている。

街中での騒音規制や、ネット広告の一般化、そして一番の依頼先であった「商店街」の衰退が背景にある。


「男はつらいよ」の昭和時代の世界観と、ちんどん屋は馴染みが強い。

 

こうして今もなお熱心にちんどん屋を愛する人たちが存在しているのは、そこに昭和のノスタルジアがあり、人と人が直に接するコミュニケーションの世界があり、昭和文化のアナログ的な「温度」があるからではないだろうか。

 

街に「物語」があった時代の、昭和レトロを語るひとつの代表的風景のひとつとして、ちんどん屋はこれからも日本人の心に残り続けるだろう。

 

やはり私の話は、いつも最後は「昭和レトロ」と『男はつらいよ』にたどり着く。 しかし、それは決して奇異なことではなさそうだ。

 

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