旧交を温めないという選択

「旧交を温める」という言葉があるが、私にはなどうにも苦手な行為だ。 小学校時代から「同窓会」と名の付くものには一度も参加したことがない。 長年勤務した銀行の同期会も毎年開催され、今でも招待メールが届くが、これなどは特に絶対に出たくない。 旧交を温めることに魅力も意味も感じないのだ。

 

自分は常に成長してきたわけではないが、月日が経過の中で自分の考えが変わらなかったことは一度も無い。 常に自分の考えは変化し、昔の自分の姿を二度と繰り返す事はない。 そんな状況だからこそ、「昔の私を見る目」と同じ目で見られると、その違いを説明せざるを得ず、それがとても面倒なのだ。 自分としては昔より成長したつもりなので、かつての知人が昔の自分に対する接し方をそのまま持ち込んでくると我慢がならない。 昔の自分を基準に扱われることが、耐えがたいのである。

 

ソフトウェアに例えるなら、すでに何度もバージョン・アップを重ね、旧バージョンとは比べものにならないほど機能が改善されたものに生まれ変わっているのに、とっくの昔に捨てた古いバージョンだと思われ、扱われ、評価されるようなものだ。 私は長い間バージョン・アップを積み重ね、今は常に「最新の安定版」でありたいのだ。

 

自分が月日の経過とともに本当に成長し進化してきたのかはわからない。 しかし少なくとも変わってきたことは事実だ。 もっと正確に言うならば、変わったつもりで生きてきた。 自分の更新(バージョンアップ)を大切に生きて来たと思う。

 

私は、過去の人間関係に対しても「一期一会」で接したい。 昔の自分ではなく、今の自分として、今の相手と今の関係を結びたいのだ。 しかし同窓会や同期会は、「昔の関係性をそのまま持ち込む」場であり、私の価値観とは根本的に相容れない。 一期一会とは「過去に戻らない」という決意でもある。 だから旧交を温めないことは、「一期一会を裏切らない」という選択であり、いまの自分に誠実に生きることでもあるのだ。

 

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