戦争を終わらせるもの

有史以来、人間は戦い続けて来た。 歴史を学ぶとまるで歴史を動かした人々が、あたかも偉人のように名前連ねて出て来る。 また日本も外国も、たくさん残されている歴史上の有名人のモニュメントには、まるで偉人の様に称えられた像が立っている。

 

歴史を動かした人物である事は間違いないのだが、民主主義誕生以前の話であれば、その多くは世間の人々に民主的に選ばれた人間ではなく、大なり小なり暴力で築いた専制・独裁的な地位による支配下で、私利私欲に従って歴史を作って行った人物である。

 

私はそう言った歴史上の人物を、倫理的に評価する事なしに、躊躇なくあたかも「偉人」であるかの様に描き、「歴史」が語られ、それが子供達に教育されている事に違和感を感じてしまう。 更に言うならば子供達だけでなく、大人達も無意識のうちに「歴史上の偉大な人物なんだ」と言う目で見ていないだろうか。

 

もちろん歴史の中には、色々な分野でストレートに世の為に尽くした偉人はたくさんいる。 だが民主主義以前の時代に、世の中を支配し、政治として歴史を動かした人物の評価は単純にはできない。 民主主義時代の現代の政治家ですら自分の意のまま国を振り回している「支配者」の様に見える人がいるし、一介の政治家でも私利の為に走り汚職を繰り返す人間もいるのだから何をか言わんやである。

 

さて、世界にはたくさんの民族と宗教があり、それぞれの集団が作った国家は、他の国家との間に利益相反する面が必ず存在する。 だから、世の中には絶対的な正義は存在せず、一方の「正義」は他方の悪となる。

 

だから国家権力が一度手を上げたら戦争になる。 「正義」の押収なのだ。 醜い非難合戦が始まる。 そして罪のない多数の人々の命が犠牲になる。 国家の「正義」の為に。

 

国家は正義をかざしてはならないのだ。 どんなに自分が正しくて相手が間違っていると思っても、それでも自分の「正義」だけが唯一正しいと主張してはならないのだ。 その一線を超えた瞬間、戦争は始まる。

 

人間の付き合いも同じだ。 自分がどんなに正しいと思い、相手は正しくないと確信したとしても、相手に面と向かって「あなたは間違っている。 あなたは正しくない。 私が正しい。」と言ったら、喧嘩別れになるのは自明の理だ。 どんなに絶対自分が正しいと思っても、相手の言い分とは闘わないでぐっと腹に収め、理解し合える部分を大切にしてお付き合いするのが、みんなが平和に一緒に生きていける唯一の解決法だと思う。

 

こんな簡単な話なのに、こんな事が太古の昔から理解されず、どれだけの犠牲の血が流れてたであろうか。 その流れた血の量を想像してみると戦慄が走る。  なのに人類は延々と同じ事を繰り返している。 そして、世界が経済発展して豊かになり、人々の教育レベルが上がり、世界をつなぎ意思疎通ができるコミュニケーション・ネットワークが広がっても、この歴史は変わりそうにない。

 

激化するベトナム戦争の最中の1972年に撮影された「ナパーム弾の少女」と名付けれた報道写真はその後ピューリッツァー賞を受賞した。 ナパーム弾を浴びて着ていた服をすべて焼き尽くされ全身にやけどを負った全裸の少女が、口を精いっぱい開けて泣き叫びながら裸足で道路を走って逃げる姿を正面から捉えた写真だ。

 

その衝撃の一枚がアメリカの全家庭のテレビで放送されたのがきっかけになって反戦運動が高まり、翌年アメリカ軍はベトナムから撤退し、最終的に1975年にベトナム戦争は終わりを迎えた。

 

米国大統領は、今年、日本への原爆投下を「自画自賛」するがごとく、「あの一発が戦争を終わらせた」と豪語した。 あの一枚が戦争を終わらせた事を忘れたのであろうか。

 

 

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