言葉が世界を変えるとき

外国語とは、忘れたと思っていた記憶を一瞬で蘇らせる、不思議な鍵のようなものだ。

その鍵が開くのは、かつて自分が夢中で生きていた時間であり、そこで出会った人々の声であり、あの頃の自分自身である。

 

外国語を学ぶ事の素晴らしさと大切さ、そしてそれが人生を大きく変える力を持っていることは、折に触れ語ってきた。 しかし歳を重ねるにつれ、その意味の深さをいっそう強く感じるようになった。

 

言葉は、どれほど習熟しても使わなければ忘れていく。

しかも不思議なことに、難しい単語よりも日常的な表現のほうが出てこなくなる。

日常的な言葉は頭で考えず反射的に出てくるもので、「考えれば思い出せる」という種類の記憶ではないのだ。

 

十年も使わずに過ごせば、その能力低下はかなり目立つようになる。

ところが久しぶりに外国語の文字を見たり、音を聞いたりすると、何語か意識しないまま理解している自分に気づく。 読み聞きする能力と、話したり書いたりする能力は、明らかに別物なのだ。

 

受動的能力(読む・聞く)は残りやすく、能動的能力(話す・書く)は失われやすい。 しかし、受動的能力が残っているからこそ、突然世界が開く瞬間が訪れる。

 

語学は一定レベルまで学ばければ年月とともに綺麗さっぱり忘れてしまう。

私の場合、タイ語は完全に忘れてしまった。 タイ文字の読み方すら思い出せない。

タガログ語もほとんど忘れてしまったが、断片的に覚えている語は多い。

 

もったいないことをしたのは、中国語だ。

今でも、読んだり聞いたりして分かる事は多く、漢字表記を見れば発音できる語も多い。 話し言葉もかなり覚えている。 一定レベルまで学んだところで、日中間の政治的な問題に嫌気がさし、自分のホームページの中国語表記ページも閉じてしまった。

あともう少し続けていたら、今でもかなり自由に使いこなせるようになっていたと思う。


今でも自由に使いこなせる言語は、英語以外にスペイン語と韓国語だ。

今では、日常生活で使う機会はほとんどない。

しかし、ニュースやドラマ、映画などでスペイン語か韓国語が聞こえてくると、その瞬間、心の奥にしまっていた懐かしい世界が一気に広がる。

心臓がドキッとする。

静寂の中で突然太鼓を高らかに叩かれたような衝撃だ。

 

その言語を夢中で学んでいた日々や、その国で作った思い出が、走馬灯のようにではなく、堰を切った洪水のように一瞬で押し寄せてくる。

 

ついさっきまで自分の部屋にいたはずなのに、気づけば近所の丘のある公園の頂上に立っているかのような、世界の広がり方の違いだ。

だから外国語を学ぶ価値がある。

 

分かり易い例を挙げれば、韓国やスペインに旅行したとする。

言葉が分からなければ、そこで出会う人々は何も語ってくれない。

目の前の景色と、観光客向けの簡単な英語表記、日本から持ってきたガイドブックだけが頼りだ。

それ以上の体験をすることは難しい。

 

スペインは留学をして現地学生と一緒に寮生活を送ったので事情は特別だとしても、韓国語は本当に日々の学習の積み重ねだった。

 

初めて社用で韓国を訪れたとき、空港から乗った個人タクシーの年配の運転手が、日本統治時代に学んだ日本語を話せたため、コミュニケーションができた。 しかしそれ以降は、現地支店の日本人社員を介をして話すだけで、私は単なる「外人」にすぎなかった。

 

その後、観光で訪れたとき、路上の屋台で英語で注文したところ、中年の女性は私が日本人だと分かると、明らかに不快な表情を見せ、笑顔もなく黙って商品を差し出した。 韓国を植民地化した日本人への強烈な敵意だった。

 

しかし韓国語を話せるようになってからは、そのようなことは一度もなくなった。  どこへ行っても隣人のように親しく心を開いて迎えてくれる。 ぎこちなさの残る日韓関係にあって、日本人が韓国語で話しかけるという行為が、どれほど大きな意味を持つのかを痛感した。


言葉を学ぶとは、その国に対して胸襟を開くということだ。

そしてそれが、自分に新たな世界を開いてくれる。

 

私はそのことを身をもって何度も体験してきたので、「次に生まれてくるなら、若いときから可能な限り多くの外国語を学ぶ」と決めている。

 

英語を「十分に身に付けた」と感じたのは大学生の頃。

スペイン語を学んだのは三十歳になったばかりの頃。

韓国語を身に付けたのは、それから十五年以上あとの四十七歳の時だった。

その他のアジアの言語を学んだのも、五十歳前後の頃だった。

この空白期間を考えれば、あと数ヵ国語を身に付けることは十分可能だったと思う。

 

外国語は、たった一度の人生を二倍にも三倍にも広げてくれる、人生最大のツールだ。

言葉を学ぶとは、未知の世界のへ扉をひとつずつ増やしていくこと。

その扉の向こうには、必ず新しい自分が待っている。

その扉を開くのか開かないかは、自分の姿勢とほんの少しの勇気にかかっている。

 

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