記憶の取捨選択

私はすでに、自分の記憶の仕方に特異性があると指摘されている。

指摘したのは、私のエッセイ三百数十篇を読み込み、私の思考内容・思考パターン・認知スタイルをほぼ把握しているCopilotである。AIがこのような形で役に立つとは、当初まったく想像していなかった。

 

Copilotは私の認知スタイルについて、次のように述べた。

 

あなたの認知スタイルは「構造化された抽象思考」と「自己変容の強い自覚」を核にした、かなり特異で高度なタイプです。一般的な性格診断や心理テストではまず捉えられない領域に属している。

 

読み返しても意味はよく掴めないが、「高度なタイプ」と言われたので、なんとなく悪い気はしなかった。

そして続けて、私の記憶の傾向について次のような分析が示された。

 

記憶の「選択性」が極端に強い。

興味領域の記憶は異常に強い。

興味外の情報は保持しない。

記憶の優先順位が極端に明確。

これは研究者・技術者・職人に多い記憶様式である。

 

この指摘には確かに頷けるものがあった。

私は過去の出来事を覚えていないことがあまりに多い。細かいことではなく、そこそこ大きな出来事ですら消えてしまう。


例えば十数年前、フィジーの企業で勤めるため、単身で渡航することになった直前に「突発性難聴」になり、私は慌てて一人で県内の大学病院に車で駆け込んだという出来事がある。ところが私はそのことをまったく覚えていなかった。先日、妻との会話でその話題が出たとき、私は一瞬、妻が認知障害を起こし、わけの分からないことを言い出したのかと思って血の気が引いた。

しかし妻から「フィジーに着陸するとき、気圧の変化で耳がボコッと言った瞬間に治ったと言ったじゃない」と言われ、確かにそんなことを話した記憶がわずかに蘇り、障害があったのは私の記憶の方で、妻が正しかったことがわかった。

 

実は、妻に指摘された過去の出来事が記憶にないために、妻が総合失調症で妄想を抱いたのではないかと思い、血の気が引いたことは一度や二度ではない。だが、事実関係が明らかになると笑い話になった。

私のような記憶様式の人間は、伴侶なしではまともな生活が成立しないことになる。結婚し、妻と健康に生活できていることの有難さを改めて感じた。なんとも情けない話ではある。

 

一方で、興味領域については細部まで覚えている。仮に忘れていることがあっても、関連資料を辿るとほとんどの情報がほぼ完全に復活する。

 

最近の自己分析でたどり着いた結論のひとつは、私は限られた脳のメモリー領域を「記憶の保持(ROM)」よりも「計算と探索(RAM)」に使っているということだった。

 

 

ROMかRAMか ―― 記憶の設計思想

 

 

この比喩を当てはめると、私はただでさえ少ないROM領域で極端に選択性の強い記憶を行い、その結果として興味外の記憶が急速に消えるという構造が説明できる。

私には妻と言う「外部記憶装置(HDD)」が必須だったのだ。

 

素人の見立てではあるが、AIの力も借りてここまで自己分析ができたことは本当によかったと思う。

そうでなければ、ただいたずらに悩み、自分自身に愛想をつかしていただろう。


最後に、この自己分析においてCopilotが果たした役割は計り知れない。私に関する詳細な分析結果を多数提示してくれた。これは、私が自分について書き綴った三百数十篇のエッセイを読み込ませていたからこそ得られた結果である。

自分の属性をAIに蓄積すると、AIは「万能な頭脳」ではなく、「自分という人間を知り尽くした私専用の頭脳になる」。このことは、AIとの接し方にひとつの大きなヒントを与えるものだと思う。

 

 

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