神々しい先輩 ―― まなざしの継承

体育会系の世界には身を置いたことがない私は、社会人として第一歩を踏み出したとき、職場で出会った先輩達に礼を尽くすこともなく、まるで同輩に接するような態度で振る舞っていた。先輩諸氏から見れば、これほど可愛くなく、腹の立つ後輩はいなかったに違いない。
  

そんな私の非礼に接しても、先輩たちはお互いに目くばせをしながら私から目をそらし、あえて私を叱責をすることはなかった。今から思えばつくづく紳士的な大人の組織だったと思う。職場によっては裏の部屋に連れていかれ、袋叩きに遭っていてもおかしくなかったであろう。
 
そんな先輩の中に、とても思慮深く哲学的な雰囲気のある人がいて、ある日さらりと語った「幸福論」が私を捉えた。

曰く、「幸せは絶対的なものではなく、相対的なもの。だから他人の不幸は自分の幸せだ。」という内容だった。その言葉は「幸福とは比較の中で湧き上がる」という冷静な人間観として私には響いた。

当時の私にとっては意表を突くものの見方だったので、「凄いなこの人」と感じ、私の社会人生活の中で、初めての「先輩」を感じさせてくれた人となった。
 
今から思えばその先輩はせいぜい三十歳前後だった。今の私から見たら赤子も同然だ。それこそ「先輩は絶対的なものではなく、相対的なもの」だということだ。テレビドラマを見ていても若い社員たちが先輩だ後輩だと気を遣い、敬語も使い、彼らにとってはとても大きな価値基準がそこで作用しているのがわかる。しかしいずれも私から見たら「みんな子ども同士で、先輩も後輩もないだろう」ということになる。
 
私の規範を逸脱した性格も、社会人生活を続け、学生気分が抜けていく内にさすがに何処かへ消え去った。
 

数年に一度の部・課・店を転勤で巡る中で、私は常に先輩には恵まれていた。単なる年上としての先輩は無数にいたわけだが、先輩として感謝や敬意を抱いた人は限られている。
 

そういう人たちに共通している点は「優しい」ことだった。一段も二段も高い所から私と言う人間を見つめて、私の幸せを期待している先輩だった。
 

翻って、私はどれだけ後輩に温かい目で優しくして来られたかと考えると、恐ろしいことに記憶に残っている該当者はほとんどいない。
 

私が年下の人間を温かい目で見て優しく包んであげようと思うようになったのは、情けない話だが六十代も後半に差しかかった頃からだ。

それは会社を退職したあと始めた個人事業が一応の成功を見せ、自分自身の中で、もうそろそろいいという達成感を感じ始めたのと時を同一にしている。

 

それまでは自分のことに夢中で、まわりの人はそもそも目に入らなかったし、たまに入ることがあったのは、私に温かいまなざしを向けてくれた先輩たちであった。
 

不思議なもので、後輩に温かく優しい目を向けるようになってからは、私に同じように振る舞ってくれてきた先輩たちの姿が一層際立って目に映るようになった。
 

間に合ったと言えば間に合ったのだが、この点においては私が人生で気づくのは明らかに遅かった。

 

今は、今でも輝いて見える先輩や、愛に近い思いで見つめ応援している後輩たちに出来る限りのエールを送っていきたいと思っている。

コメントする