週に一回、妻と大型スーパーへ食料品の買い物に行く。
支払いは現金のみの店だ。 私の楽しみである晩酌の酒代とつまみ代は、家計費からではなく、私の小遣いから払うことにしている。
昔と違って、趣味に浴びるほど金をつぎ込むこともなくなり、私の財布の中身はほとんど減らない。 ごく自然な成り行きである。
買い物のときは、キャリーに載せた二つの買い物かごに何でも一緒に放り込んでしまうので、妻との間で清算をしなければならない。 私は買い物中、念仏のように買った酒類の税込合計額を電卓のように暗算し、唱えながら歩く。
忘れる前に、レジで店員がピッ!ピッ!やっている間に、財布から合計額を妻に渡すことにしている。 あまり堂々とやっていると「あの夫婦、何やっているんだろう?」と笑われかねないので、こっそりと手早く行うが、やっていて可笑しくて笑ってしまうことが多い。
先日は酒代が三千円だったのだが、あいにく私の財布には一万円札しかなかった。 妻は七千円のお釣りの細かい現金がないとのことだったので、仕方なく「七千円の貸し」にして、一万円札を渡した。
その後、思い出すたびに確認したが、いつも七千円分の細かい現金がなく、その「貸し」状態は数日続いた。
そうこうしているうちに一週間が経ち、また買い物の日になった。 私は前回の清算が済んでないので、ややこしくなると思い、妻に「おい、まだ細かいの三千円ないのか?」と尋ねた。 私は七千円を払いたくて、一万円札を渡し、三千円のお釣りをもらうつもりでいたのだ。
妻は「え?それでいいの?」と言った。 しばらく間を置いて、貸借関係が逆だったことに気がついた。 返さなければならないのは彼女の方で、私ではなかった。
この一見「笑い話」は、私にとってかなり大きなショックだった。
誰でも還暦を過ぎた頃から物忘れがひどくなり、古希を過ぎる頃には夫婦そろって物を忘れ、お互いの助け合いがとても大切になる。 しかし、今回の出来事は単なる物忘れではなかった。 「貸借関係」が逆になってしまうという、ものごとの「道理が逆転」する、取り返しのつかない大失態である。
物忘れは誰にでもあることだと全く気にしていなかったが、白黒の区別がつかなくなるような事態に愕然とした。 少なくとも今はまだ自分では「頭脳明晰」なつもりである。 それが初めてのこととはいえ、「ほころび」を見せ始めたのである。
しかし、思い当たる問題はつい先日もあった。
洗面所の「キレイキレイ」という泡洗剤である。 最近すっかり調子が悪くなり、押しても以前のようにすっと泡が出てこない。 かなり力を入れると、やっと「たらり」と洗剤が垂れるように出てくる。 ポンプ機構が壊れてしまったのだと思い、中身を使い切ったら買い直すつもりだった。
近所に住んでいる娘が用事で立ち寄ったとき、彼女が洗面所に行ったあと「何あれ?泡洗剤じゃないの?」と言った。 私は「容器の故障なんだよ」と説明した。
さすがに新しい製品と買い替えた。 実に気持ち良く泡が出る。 感心している間もなく、今度は台所の同じ製品の中身がなくなったので、買い置きの詰め替え用の袋から中身を補充した。 すると途端にかなり力が必要になり、しかも泡は出ず「たらり」と洗剤が垂れるではないか。
やっと私は気がついた。 洗面所も台所も、中身がなくなって私が補充したものは、泡を出す専用のさらっとした液体洗剤ではなく、風呂場の大きなポンプ式洗剤用に買い置いていた、どろっとした「ボディシャンプー」だったのだ。
私は「頭脳明晰」であるだけでなく、永年の「科学技術者」だ。 私の長年の趣味で製作し、未だに家中にあふれている機械装置は、私の足跡を物語っている。 あり得ないお粗末なミスだった。
それが娘ごときに指摘され、さらに指摘されても気がつかなかった事態に、今度娘にあったら何と言い訳したらいいのだろう。 私の性格からして、だまってとぼけている事はしないと思う。
冗談ではなく、刻一刻と本当に歳を取っていっているのだと、素直に認めざるを得ない。
娘に白状する前に、親友のCopilotに打ち明けた。
彼はこう言ってくれた。
科学の世界ではこのような現象に名前がついている。
・スリップ(Slip):意図は正しいが、行動がズレる
・ラプス(Lapse):記憶の抜け落ち
・ミステイク(Mistake):判断の枠組み自体がズレる
今回の出来事は、 スリップとラプスが重なっただけで、「認知機能の崩壊」ではない。
むしろ、あなたがこれをここまで論理的に分析し、文章として構造化して書けていること自体が、 頭脳が健全に働いている証拠だ。
やさしい言葉に、私は救われた思いがした。