すべては、あの出逢いのおかげだった ― 新しい撮影システムの誕生

私の現役最後の13年間続けたタイムラプス撮影の個人事業は、私の永年の趣味で培ってきた色々な技術とノウハウを活かせる舞台となり、後半の数年間は「長期タイムラプス遠隔撮影システム」を開発して、全国各地で活躍の舞台を与えられた。

 

長期タイムラプスとは、風光明媚な景色の四季の変化とか、建設工事現場の工事の様子とかを、数か月~2年に渡って毎日連続撮影して制作するタイムラプス動画だ。 私はそれを、あえて実現が難しい「高品質なプロ用一眼レフカメラ」を使って撮影する事を目指した。 しかもそれをインターネット経由で日本中どこからでも遠隔操作をして、監視や画像のダウンロードを出来る様にしたシステムを開発した。 この独自システムのお陰で、事業は大きく成長した。

 

それまではタイムラプス・フォトグラファーとして、TV放送局や映像制作会社などから普通のタイムラプスの撮影の仕事を頂いていた。 当時はまだ日本ではタイムラプス自体が一般化していなかったからだ。 だから、ある人との出逢いがなかったら、そのまま同じような仕事を続けているだけで、このシステムの開発をする事はなかったと思う。 そう言う着想する機会すらなかったと思う。

 

それは、長野県小海町で開催された夏の星まつりフェスティバルに出展した時、後援者に紹介された小海町役場の若い職員の方と上司の方との出逢いであった。 その場で小海町観光のPR動画をタイムラプスで撮影して貰いたいとお話を頂いたのだ。 願ってもないお話であった。 それから毎月の様に小海町に出掛けて、その若い担当者の熱心なアテンドを貰いながら、タイムラプス撮影を何日も何日もする事になった。

 

彼は本当に親身になって私の活動を支えてくれ、いつしか単なる仕事上の関係を超えた親近感と信頼感で結ばれるようになった。 そんな中で、小海町観光の代表的拠点である松原湖畔から、八ヶ岳を望んだ風景の一年間の四季の変化をタイムラプスで撮影して貰えないかと相談を受けた。 それは大変な難題であった。 車のドライブレコーダー級のいわゆる小さなウエラブルカメラを使えば撮影は出来たが、あの素晴らしい風景はそれまで撮影に使用して来たプロ用一眼レフカメラでしか撮りたくなかった。

 

私は色々な趣味で鍛えて来た電気工作・電子工作・機械工作はお手の物だったので、何でも市場で売られていない物は自分で工作して対応しようと知恵を絞る事になった。 仕事の手を抜いて趣味に傾倒して生きて来た人生が、役に立つ時が来た。 時間はないので、とりあえず手間がかかろうと実現可能な方法を見つけて、とにかく撮影をスタートさせて何とか成功させようと真剣になって取り組む事になった。

 

私には画質を落とす選択肢はなかったので、一眼レフカメラと広角レンズを内蔵した防雨装置から考える事にした。 最初に作ったものは、頑丈な防雨キャビネットにカメラ一式を収納し、換気ファンやガラス面の結露防止ヒーターなどを装着した簡単な物だった。 カメラにはUSBケーブルをつないでキャビネットに空けた穴から外に引き出す事にした。 近所の建物から引っ張って来た家庭用電源ケーブルをキャビネット内に引き込んで電源を確保した。

 

外に引き出したUSBケーブルをノートPCにつなげば、撮影してカメラ内のメモリー・カードに保存した画像ファイルを取り出す事が出来る訳だ。 これはシステムと呼べるような物ではないが、とにかくこれで撮影を開始する事が出来る様になった。 カメラには電池で動くインターバル・タイマーで、数分に1回シャッターを切る様にしていたので、24時間夜も含めて撮影は続けられた。(カバー写真)

 

(松原湖畔に設置した長期タイムラプス撮影の為の防雨キャビネット)

 

しかし、これではあっという間にカメラ内のメモリー・カードは一杯になってしまうし、なにしろ初めての経験なのでちゃんと撮影ができているか確認できないのは困る。 そこで助けてくれたのは、意気投合したその若い町役場の職員だった。 彼は「私がやります!」と毎週のように現場に行って、ノートPCにファイルを移動してくれて、動作状況も確認してくれる事になった。 こうやって14ヶ月が無事に経過し、初めての長期タイムラプス作品を完成させる事が出来たのだ。

(毎週、キャビネット内のカメラにノートPCを接続して画像ファイルをダウンロード)

 

私はこの撮影プロジェクトを必死になって支えてくれている役場の若い職員の姿に触発されて、何とかもっと良い方法はないものかと真剣に考え続けた。 何とか現場で人が介在する事なしに長期にわたって安全に撮影ができて、撮影済みの画像ファイルの取り込みをする方法を求めて本格的に研究を始めた。 色々な基礎実験やプロトタイプにシステムの試作を繰り返して、このプロジェクト終了する頃には現在のシステムが完成していた。

(完成した「長期タイムラプス遠隔撮影システム」)

 

私があの町役場の熱心な若い職員に出逢わなかったら、絶対にこのシステムがこの世に出る事はなかったと確信する。 彼にはいくら感謝してもし切れない。 すべては彼との縁があったお陰だった。 私の力ではない。

 

この「長期タイムラプス遠隔撮影システム」にたどり着かなかったら、私の人生最後の起死回生をかけた個人事業は、多分頓挫していたのではないかと思う。 始めた当初は、他にやっている人はまずいなかったので、引っ張りだこだったが、数年のうちに世の中に広まり、普通のタイムラプス自体は特別な技術ではなくなって来ていたからだ。

 

この「長期タイムラプス遠隔撮影システム」については、私が現役引退を決意し個人事業を廃業とした後、嬉しい事に、是非その撮影装置と技術を伝承させて欲しいと申し出てくれた映像制作会社が何社か出て来た。

 

私は人生で過ちはたくさん犯して来たし、反省する事が山ほどある人間だ。それは私の持って生まれた性癖の成せる業なので、もう一度人生をやり直しても同じ事になるかもしれない。 こんな私だけど、最後になって人との出逢いに恵まれ、少しでも良い足跡を残せた事は、本当に幸せだったと神様に深く感謝している。

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