年賀状を卒業したのは3年前だった。 しかし、もう観念して再開しようと最終的に決断をした。 来たる新年から再開の予定で準備を始めたところだ。
再開を検討するに至る経緯は別記事「年賀状が果たしていた大切な役割」でご紹介済だ。
https://mafnet.jp/blog/archives/535
(『年賀状が果たしていた大切な役割』)
また、今回年賀状再開決断の最終的引き金となった出来事を別記事「その時は順不同で唐突にやって来る」でご紹介済だ。
https://mafnet.jp/blog/archives/454
(『その時は順不同で唐突にやって来る』)
もちろん、突然の不幸には年賀状交換をしていても役には立たないのだが、体調がすぐれないとか、病気で入院をしたとかの平時の情報に触れていれば、かなり気を揉むような事は減るに違いない。
身の周りの人のご不幸は60代くらいから徐々に増えて来る。 70を超すと次々に訃報が入るようになる。 もはや私の世代は、お互いにいつ何時何が起きてもおかしくないゾーンに入っているのだ。
3年前に年賀状を卒業すると決心した時は、「現役を引退した身で年賀状を絶つと、全くお互いの消息を確認する手段がなくなる」と言う事まで考えが及ばなかった。 定期的に決まった所に顔を出すわけでもないし、人と逢う訳でもないし、グループでのお付き合いがある人はともかくとして、何があっても分からないと言う事態になってしまったのだ。
実際にこういう状態になって分かった事があった。 消息を知りたいと思っても無事の確認は大変やりにくいと言う事だ。
突然電話などで連絡して「ご無事ですか?」と聞くわけにもいかない。 その点、年賀状には正月と言う年中行事の定期便と言う別の顔があるので実に自然に安否確認ができると言う素晴らしい機能があったのだ。
この様な経緯を経て年賀状を再開する事になったが、再開にあたり明確な条件を設定した。
・義理年賀状は再開しない
・親族宛年賀状は再開しない
印刷年賀状でコメントも書かないような年賀状はほとんどが「義理年賀状」である。 これをまず廃絶する。 私は従前200通近い年賀状を書いていたが、保管してあった過去の年賀状を数えてみたら、間違いなくその大半が義理年賀状に分類できるものであった。
次に親族宛ての年賀状だ。 一見大切なようだが、親族は何か不幸があれば必ず連絡が来るのだから、必ずしも必要ではない。 現状何か不都合な事が発生していなければ再開する必要はないと考えた。
次に、再開に際し、3年前に「これで最後にします」と言った舌の根が乾いていない状況をどう言い訳するか考えた。 ここは正直に、
「しばらく年賀状をお休みしておりましたが、やはり一年に一度のご挨拶は、お互いの元気を確かめ合える大切な機会だと思い、こうしてご連絡させていただきました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。」
と言うようなご挨拶にしようかと思う。 「お互いの元気を確かめ合える」と言いながら、こちらから「ご連絡させていただいた」との表現で、相手にも年賀状をお願いするのではないと言う形に留めておくのが良いかなと思っている。
そしてもう一つ決めた事がある。
・できる限りたくさん手書きのメッセージを書く
近年は筆〇〇とか言った年賀状の作成ソフトが沢山出回っている。 プロ並みの写真やイラストを見事にはめ込んだ文面が簡単に作成・印刷できる。 今から20年以上前、この手のソフトが出回り始めた当初は受け取った者へのインパクトは相当あった。 誰しもが感心したものだ。
しかしそれが悪かった。 すべての年賀状はプロに頼んで作って貰ったような素晴らしい画像にはなったが、「肌のぬくもり」とか「書き手の心」とかが全く感じられない型式になってしまった。 届くのはその家の家族アルバムの一ページ。 「一年振りに私たち家族はこんなです!」と言う機能は素晴らしく果たしている。 しかし今まであった手書きのメッセージはほとんど消えてしまった。
私は再開するなら、もっと気持ちがこもった便りにしたいと思う。 もちろん写真とかイラストとかを含めた印刷自体が悪い訳ではない。 ただ出来る限り手書きスペースを残して、手間をかけても手書きのメッセージを書き込みたい。
いったん廃止し、そして再開する事になったお陰で前向きに前進してたどり着いた結果が、「義理年賀状」の廃止と、「手書きメッセージ」の重用であった。 一言で言えば「儀礼から心のお便りに」と言う結果になった。
これからは、間違いなく今までより心のこもった年賀状が書けるような気がする。 以前の年賀状に書いていた「本年も宜しくお願い致します」だけの一行コメントはもう姿を消す事になる。