今から40年前、私がスペインに渡って生活を始めた時、時折日本を思い出して最初に浮かんだ隔絶の世界が、朝の通勤時間帯の会社へ急ぐ人々の姿だった。 特に目に浮かんだのは、人の数、広さ、距離共に都内でも有数と思われた池袋駅の地下道だった。
私は西武池袋線と言う私鉄からJR山手線への乗り換えするのだが、あの広い地下空間にぎっしりと埋まった背広やスーツに身を固めた集団が、一言も口を開かず凄い勢いで前を向いて行進をするのだ。 ボケッとして立ち止まろうものなら、一瞬の内に踏みつぶされてしまいそうな勢いだ。
「ザクッ!ザクッ!ザクッ!」と靴音だけが地下道に不気味に響き渡る。 まさに兵隊の大行進以外の何物でもなかった。 そしてその中に埋もれながらも当たり前の様に手を振って行進していたのが私だった。
あの頃の私は何ひとつ不思議に思わずに皆に従って大行進をしていた。 それが常識でそれが普通の事だと思っていたからだ。 しかし遥々異国のスペインまで来てそこで生活している内に、ふと当時の自分を思い出すとまるで夢の中の世界を見るような気がした。 スペイン人にはあの場面をどうやって説明しても理解して貰えるとは思わなかった。 話しても信じて貰えないし、仮に信じてくれたとしたら日本人は狂っていると一斉に嘲笑われたと思う。
そんなスペインでの経験を思い出すと、次々と似たような話が出て来る。
留学時代に学生寮でスペイン人学生と一緒に過ごしていた時、大きな食堂で気の合った仲間同士10人ほどで一つのテーブルを囲んで食事をしていた。 彼らは本当にいつも良く喋った。 ある日、彼らが何かの話を真剣にし始めて、だんだんボルテージが上がり、そのうちテーブルをバンバン叩いて反論し合い始めた。 顔を真っ赤にして大声を挙げ始めた。 食卓の上の皿や水の入ったグラスは揺れるし、私はまともに落ち着いて食事ができなかった。
何の議論をしているのか、政治論争でも始めたかと耳を傾け良く話を聞いてみると、生ハム(豚の片足の腿から切り落とした肉を干して燻製にしたもの)を包丁でスライスする時に、腿の付け根側から刃を入れるか、足の先側から刃を入れるかを巡っての言い争いであった。 呆れて物が言えなかった。 それからしばらくしてやっと言い争いは収まった。
一人でなんとか我慢して食べていた私は先に食べ終わったので、椅子の背に軽くよりかかり、両手を頭の後ろに回して「あ~~」と小さな声を漏らしながらちょっと伸びをした瞬間である。 9人の学生達が一斉に私に向かって指を差し「行儀が悪い!」と言い始めたのである。 私は何と言って反論したらいいのか思いつかなかった。
後日冷静な時に彼らとこの騒ぎについて話す機会があった。 なんと「食卓をバンバン叩いても、真剣に議論する事は大人だからできる行動だ」と言われた。 「子供は議論ができないじゃないか」とも言われた。 またしても私は言葉を失った。
このような「議論」の場面にはその後もいろいろな場所で何回も出くわした。 良く「スペイン人は議論が好きだ」と言うが、私にはそれは「議論」には見えなかった。 「相手の言う事には耳を傾けず、とにかく言いたい事を言い続ける」のだ。 相手の意見には興味がないのだ。 だから話は進展せずに延々と続いて終わりがない。 スペインも居酒屋で何人かで寄り集まってワインやビールを立ち飲みするシーンはお馴染みなものだが、それは彼らの「議論」の場と言う伝統的役割があるのだと思った。
留学後は、短期間ではあったが、スペインの某銀行の地中海に面した風光明媚な場所にある支店で業務研修を経験した。 立派なスペインの大銀行である。 日本人が研修に来るなんて初めての事だったので皆大歓迎してくれた。
すぐに私が驚いた事があった。 就業時間が到来すると一斉に席を立って退社するのだ。 スペインの銀行の閉店時間は午後2時だったので、彼らの多くはそれから家に帰って昼食を取るか、近くのトップレスの娘が寝そべる海岸に行って泳ぐか、居酒屋に行ってワインや生ビールを飲みながら雑談を楽しむかしていた。 少なくとも銀行に残って残業をしている行員は一人もいなかった。 残業自体が彼らの常識にはなかった。 豊かな生活を破壊するような仕事は常識外だった。
現在では日本でも、政府の指導もあって労務管理が厳しくなって、私の時代ほど残業をすることはなく、会社としても早く退社するように指導していると聞くが、とにかく以前は残業は当たり前で、男性は10時近くまでは普通に残業をしていた。 程度の差こそあれ、どの会社でも5時ポン!で退社できるところは限られていたと思う。 5時ポンでさっさと退社している人達は気楽な怠け者と見られる風潮すらあった。
彼らは夏休みも長い。 ただ社員のみんなは口々に不満そうに「たった1か月しかない」と語っていた。 金融機関以外の一般の企業では2ヵ月が普通だったからだ。 日本では盆休みに有給休暇をくっつけたり色々工夫してやっと1週間取れたら万々歳だった。
まるで別世界だった。 人々は1~2ヵ月もある長い夏休みの為に毎日働いていた。 夏休みは「休暇」ではなく、人生をエンジョイする為の一番大切な「日常」だった。 日本で盆暮れの休暇の為に毎日働いていると考える人は恐らくいないだろう。 まず仕事に没頭してこそ休みもあると考えるのが普通であり、休む為に働いていると考える人は、少なくともあの時代にはいなかった。
同じ事が、あるいは同じ事をしても、片方では「〇」でも片方では「✕」と言う事が相互に起きているのだ。 日本では極く当たり前で何も疑問を持たずに繰り返している日常が、国が変われば全く有り得ない想像すらできない世界になってしまう。 私はこんな経験をスペインで生活しながら何度も味合った。
日常生活で納得し難い事に出逢った時、周りの意見を受け入れて住んでいる世界の常識に素直に従って生きて行く事が無難であろう事は誰にでも分かる。 「郷に入れば郷に従え」の言葉通りだ。
そして、それは周りの常識が正義だからではなく、周りと摩擦を起こさない無難な生き方であるからだ。 「にっこり笑って心の中では自分の価値観を第一に大切にする」事は決して周りに対して不誠実な事ではないし、心の中にはない「周りの常識に合わせる」事も自分の信念を曲げる事ではない事を学んだ。