私はなにかと変わったことをする人間だが、その一例として、世を去ったときのために準備したものがある。 この一年間をかけて、私は誰よりも「自分のため」に、そしてもしかしたら「私を知る人のため」にもなるかもしれない形見を完成させた。 自分が世を去ったときには、もはや自分で見ることはできないものなのに、それでも今のうちに作っておきたいという思いにこだわった。
形見とは故人を象徴する物であり、そこには価値観や人生観、生き方が込められていなければならない。 私はそれを形づくる手段として、「資料」「物品」「作品」の三つを選んだ。
「資料」は、ひとりの人間としての私の歴史と足跡を詳細に記したいくつかの一覧表である。 A3サイズに印刷し、劣化を防ぐためにラミネート加工を施した。
すでに行った終活の一環として、人生の大半を投入した趣味の世界で蓄積された、トラック2台分にもなる大量の機材・機器・材料類は一括廃棄処分し、けじめをつけてある。 そこで「物品」の対象となったのは、現役最後に手掛けた個人事業で活躍してくれた機材・機器類だ。
これらは、私が現役の最後のステージで初めて職業人として「真人間」になり、自分を実現できたと感じさせてくれた大切なパートナーたちである。 一部は希望者に譲渡したが、多くは頑丈なアルミケースに格納され、物品棚にずらりと並んでいる。 高価な機材も多く、現役のカメラマンや写真家が見たら「ぜひ使わせてほしい」と思うようなものばかりだ。
「作品」は個人事業をフォトグラファーとして過ごした期間に創作した、400点近いタイムラプス動画である。 机上には30台の外付けハードディスクが並び、そこに保存されている。 ただ、この大容量ハードディスクを端から端まで覗こうとする人はいないだろう。 そこで、多くの作品をYouTubeに残している。
さて、私がこの世を去ったあと、こんなに後生大事に丹精込めて作った形見を改めて見る人は、おそらくいないだろう。 YouTubeの作品も、時の移り変わりとともに世間の注目する映像は変わっていき、いつまで人の目に触れるかは分からない。
一生懸命作った形見のうち「物品」は、私にとっては宝でも、残された者にとっては手に余る物になるだろう。 「資料」は、私の経歴を振り返り確認するものとして引き出しに保存されたままになるに違いない。 「作品」だけはYouTubeに長く残ることにはなるだろう。
結局、この一年で「形見の作成が終わった」と安堵したものの、その大部分は「自分のため」であり、私を知る人たちが大切に手にしながら在りし日を振り返ることは、あまり期待できないものとなった。
しかしまったく意図しないところから、手応えのある形見が現れることになった。 私は毎日noteで、重たい内容となることが多いエッセイを書き綴ってきた。 それは自分という人間に立ち向かい、人生を洗いざらい「反省というまな板」に載せて振り返り、自分自身に決着をつけようと思ったからだ。 私は、それを自分自身の反省記として編纂し、形に残そうと「エッセイ集」を製作することにした。 その作業を進めている内に、それが何よりも残された家族にとって「最良の形見」になることに気がついたのだ。
エッセイ集は自分で製作することにした。 noteをパソコンで閲覧したイメージのまま、A4縦置き用紙にTOP写真を含めて横書きで両面印刷する。 連続ページ番号を下部に挿入し、目次ページも作成し綴じ込んだ。 両面印刷用のやや厚めの用紙でエッセイ100作(100日分)をまとめると、背の厚さは約22ミリになり、重さも考慮してその量で一冊としている。
(最初の100作をA4サイズで製本した第一巻)
これを購入した製本機で、一般の書籍と同じ「ホットメルト方式」で製本している。 プラスチック製の表紙・背表紙は製本時の材料で一体化され、背表紙にはTEPRAでタイトルを貼ってあるので、見た目は立派な本だ。 すでに第一巻は完成しており、第二巻も今日書いている第200作目となるこの作品で製本に取り掛かれる。 とりあえず二冊残すことができたことになる。
この形見だけは、大の本好きで永年同好会に入りエッセイを書いて来た妻が、ずっと座右に置いて大切にページをめくってくれるに違いない。 エッセイのTOP写真の多くは私が撮影した作品の一コマであり、ほかは撮影時のスナップ写真などで、映像作品アルバムも兼ねている。 まさに私という人間が凝縮された作品集だ。
元はなによりも「自分のため」に始めた形見づくりだったが、残すためではなく、確かめるために書き綴ってきた日々の言葉が、いつしか形見になっていた。
そしてつい三日前に、この第200作目を公開する今日が、結婚記念日である二月二十日であることに気がついた。 もう四十六回目になる。 私は見えない何かの力でここまで動かされ、説明のしようがない偶然に遭遇していることを知った。
この二百篇を、
長い年月をともに歩き、
私の言葉を静かに支えてくれた妻に捧げる。
あなたがページを開くかぎり、
私はそこにいる。
