タバコ吸わない人にはどうでもいい話だと思うが、まだ15%いる喫煙人口が社会に与えている影響は決して小さくなく、吸わない人も推移を見守らなくてはいけない。
タバコはそのうちすっかり姿を消すことだろう。 私が毎日二時間のゴミ拾いで拾うタバコの吸い殻は、なんと数百本。 タバコの空箱は五箱前後。 ゴミを地面からトングで拾い上げる動作数ベースで考えると、全体のゴミの拾い回数の90%以上がタバコだ。 世の中喫煙者が激減しているのになぜこんなに吸い殻がまき散らされているのか。 追い詰められているのだ。 喫煙者は「安喫の場」を奪われてしまった。
自宅・店舗・施設・会社・駅構内を問わず、ほとんどの場所が禁煙となってしまった。 背景には健康意識の高まりがあるが、2020年に施行された健康増進法改正で飲食店や公共施設での喫煙が大幅に制限されたことが大きい。 賃貸住宅も禁煙物件が増えて来たし、自己保有の戸建て住宅でも、奥さんが子供の健康を理由に家庭内禁煙としている例が多いようだ。
昭和の時代は駅構内でも堂々とタバコが吸えた。 私は西武池袋線で通勤していた。 朝の通勤ラッシュで最後尾に乗車した列車が池袋駅に着くと、ホームに降りるとまずタバコに火を着けてプカプカ吸いながらホームを一番先頭車側の端まで歩いたものだ。 もちろん私だけでない。 多くの人がホームの列車側に沿って歩きながら吸った。 そしてホームの端に到着する寸前に吸い終わると、列車とホームの隙間から線路にポイと吸い殻を捨てる。 誰もがまったく抵抗なくそうしていた。
帰宅時は電車がまだ入線して来ないホームを一番先頭側まで歩くのだが、その時もタバコを吸いながらポイと捨てる。 自分のいるホームと反対側のホームの間の線路には、駅員の姿があった。 塵とりとトングを持って歩いて吸い殻を拾っている。 吸い殻の量は半端な数ではなかったので、列車がホームにいない時には常に線路におりて吸い殻拾いをさせられている気の毒な若い駅員の姿があった。
混雑した地下街を歩く時も吸いながらポイ捨てもした。 地下鉄丸ノ内線のホームでも吸っていた。 それが良く覚えてないが、1990年頃から徐々に喫煙がはばかれるようになり、昔当たり前だった行為が非常識になっていった。 JRでも最後はホームの端に設置された灰皿の周りだけが喫煙場所になったが、2010年にはそれも廃止されて全面禁煙となった。
私の幼少期の日本の喫煙率は男性だけで見ると80%以上に達していたが、近年は25%程度まで激減している。 それでも冒頭で示した通り街中にタバコ関連のゴミがまき散らされている。 記憶にはないのだが、もしかしたら、今は昔よりタバコごみが散乱しているのではないかとも思う。 吸う人は間違いなく減ったのだが、すべからく「建物」の中から締め出され、道路が唯一の喫煙場所になっているのではないかと思う。
私の家の近くに綺麗な二軒が連なった戸建て風のマンションが数件まとまって立っているところがある。 そのある家の玄関の前に毎日吸い殻が数本捨てられている。 道路沿いで目立つので私が毎日拾っているが、毎日同じように捨てられている。 自分の家の玄関前なのにポイ捨てして放置して、それが毎日誰かに片づけられているのに、平気で毎日ポイ捨てするそこの住人。 実はこんなアパートは他にも何軒かある。二階に上がる外階段があって、各階に数世帯ある良く見るアパートだが、その階段下にはかなりの数の銘柄の違う吸い殻が捨てられていて、私はその前を通る度に拾い上げている。
私は苦言を呈しているのではない。 大体私は若い頃似たようなことをやっていたので、その罪滅ぼしに拾っているだけだ。 だから、捨てている人を責めるつもりはない。 ただ、その人たちが追い込まれて切羽詰まった状態にいることに複雑な気持ちを持っている。 同情している気持ちもあるのだと思う。
いま街に溢れるタバコ関連のゴミの量は、「断末魔の喘ぎ」のようだ。 最後の段階を超えると、ろうそくの灯が消える様にす~っと消えてしまうのではないかと思う。 それまでは、やめられずに最後まで吸おうと思っている人々はまるで反社会的存在のように毛嫌いされ、無い行き場が益々奪われていく悲惨な日々を過ごすことになるかもしれない。
毎日紙巻タバコを六十本、五十五年間吸って来た私は、肺気腫が出来て数年前に禁煙した。 今でも映画や実際に喫煙している場面に出くわすとたまらなく吸いたくなる。 しかし少し近づいただけで鼻を衝くあのヤニの匂いがすると途端に気持ち悪くなる。 中毒から脱出するとそんな信じ難い変化が起きる。 見たら美味しそうだが、吸ったら絶対まずい自信がある。 そんなタバコは先進国から順番に社会から姿を消す日も近い。