標準語という私の「方言」

標準語とは、いったいどういう存在なのだろうか。

 

南風に乗る優しい声九州

 私は東京で育ち、自然と標準語を身につけてきた。 父は大分、母は博多の出身で、家の中にはいつも九州の言葉が飛び交っていた。 とはいえ、外で触れ合うのはあくまで標準語なので、九州の言葉はどこか遠い世界のような存在だった。

 

それでも、夏休みになると状況は大きく変わった。 祖父母の家の縁側に座り、蝉の声に包まれながら過ごす時間の中で、私は大分弁や博多弁の世界にいた。 話せはしないが、耳だけはその心地良く響く言葉のリズムを確かに感じていた。 南国の湿り気を感じる空気の中で交わされる言葉は、どこか丸く、優しく、ゆったりと心に伝わってきた。

 

中学生になる頃、ふと自分の言葉の一部が周囲の標準語と微妙に違うことに気づいた。 標準語は平坦で、抑揚が少ない。 それに比べて、地方の言葉には独特の抑揚があり、その土地の空気がそのまま染み込んでいるようだ。 祖父母との生活体験や両親の話す言葉の影響で、九州の湿気、祖母の笑い声、夕暮れの匂いなどが自分の言葉の中にしみ込んでいた。 私の話す標準語の抑揚はいつの間にか九州弁っぽく染まっていた。

 

街に気取らず弾む声大阪

 就職して数年後、私は大阪に転勤した。 関東と関西は何かと比較されるが、私にとっては未知の文化に触れる絶好の機会となった。 20代の若さもあって、同僚たちとは遠慮なく言い合い、笑い合った。 彼らは私の標準語を「なまっている」と言っては笑い、私はそれを面白がって受け止めていた。

 

やがて私も関西弁を話そうと試みる様になったが、話すたびに彼らは面白がって笑われた。 イントネーションのわずかな違いが、彼らにはすぐに分かるらしい。 何度試みても、にわか仕込みでは到底追いつけない世界であることを思い知らされた。

 

そのうち、関西弁と標準語の違いは、文法や発音だけではないと気がついた。 物事の捉え方、感情のしまい方、人との距離感など言葉はその土地の気質を映し出していた。 そして気質が言葉を作り、言葉が更に気質を育てていると感じた。 大阪出身の同僚達に口々に指摘された「標準語は気取ってる」と言う意味が分かるようになった。

 

大阪の街を歩くと、どこからともなく笑い声が聞こえてきた。 人々はよく喋り、よく笑い、よく突っ込む。 その明るさの奥に、他者との距離を一気に縮める力があった。 関西弁はストレートに自分の胸の内を表す言葉だと感じた。 私はその空気に包まれながら、自分の言葉の世界が拡がって行くのを感じていた。

 

雪の重さを抱く声北国

四十代になり、異動した部署では北日本出身の同僚たちと出会った。 岩手、青森、札幌。 彼らと赤提灯を巡りながら過ごす夜は、また別の方言の世界へ入り込む機会となった。

 

大阪の明るく弾むような言葉とはまるで違う、雪の重さを抱えたような響き。 言葉の端々に、長い冬を耐えてきた人々の静かな強さが滲んでいた。

 

青森出身の同僚とは特に仲が良かった。 ある夜、彼は言った。

 

「冬さ寒ぐて、吹雪ん中だば口なんて開げられねぇじゃ。だはんで言葉こもるんだ。」 (注:正確には覚えていないかもしれない)

 

その話を聞いたときに、北国の方言はただの訛りではなく、生きるための知恵が反映されていることを知った。 その同僚が雪の中で肩をすくめ、手を口で温めながら歩いている姿が目に浮かんだ。 寒さへの愚痴でありながら、どこか温かさを感じさせた。

 

酒を飲んで色々な話をしている時に、彼がよく放った言葉が記憶に残っている。 「ほんじね!」(物の道理がわからん奴だ、という意味の下北弁)

 

その一言にも、反感をぶつけるのではなく、受け入れながら生きている人の声を感じた。 私は遠い世界の物語を聞いているような気持ちになった。

 

厳しい自然の中で育った人々は、言葉数こそ少ないが、心の温度は確かに伝わってくる。 冷たい世界の中で、顔だけは微笑んでいる。 その微笑みは、強さそのものだった。 私はその姿に、深い敬意を覚えた。

 

標準語 「私の方言」

私は、いつしか私が慣れ親しんでいる標準語もまた、数ある方言のひとつにすぎないと思うようになった。 歴史的に「標準語」として定められただけで、それがたまたま私が生まれ育った土地の言葉であっただけだ。

 

九州に漂う南風、大阪の弾む声、北国の雪の重さ。 それらの土地の言葉に触れ、その奥にある人々の気質や生き方を感じる中で、そう思うようになったのだと思う。

 

方言は、その土地で生きる人々の息づかいそのものだ。 その響きに触れるたび、私は世の中の広さと、その土地の人達の温かさを思い出す。

 

標準語も、数ある方言のひとつにすぎない。 そして方言の数だけ、風土と人が作ってきた世界がある。

コメントする