大体私は自分勝手に生きてきたので、人から感謝されるようなことはあまりしてこなかったと思う。しかし、この期に及んで、思いもせず感謝の言葉を頂くことが二つあった。それも二つともこのnoteが絡んでいた。
一つはこのnoteの私のエッセイを読んだ、高校生時代に親しく交流していたアマチュア無線仲間からの言葉だった。
この彼とは五十年以上も連絡を絶っていたが、ちょっとしたきっかけでLINEを交わすようになり、私のエッセイを古いものまで遡って読んでくれたらしい。
お互いの近況などLINEで交わすようになったので、彼が長野県の自然豊かな地にセカンドハウスを探していることを聞いていたが、それがついに具体的な手続きに進んだと知らせがあった。話によると、私が多くのエッセイに綴った「妻への償いの思い」を読んで心を動かされたとのことだった。
性格が優しく思いやりのある彼は、私と違って奥さんに償うようなことはしてこなかったと思うが、それでも「今のうちにできる限りの喜びをプレゼントしたい」と考えたようだ。LINEには「エッセイを読まなかったらそういう考えは無かったかもしれない。感謝してます!」と書かれていた。
私のエッセイにそんな役の立ち方があったのだと、とても嬉しく思った。
もう一つは健康医療器具「CPAP」の勧めだった。これは昨年末のエッセイで書いたものだ。実際にこの器具が自分の健康面で役に立ち、その出逢いに感謝していたので自信を持って綴ったものだ。
先日、親しい友人の「グループLINE」に参加している一人からメッセージが届いた。
「ワタシもついにCPAPデビューしました!!」
「人生最大級の何と言うか改善というか気持ち良さというか・・・味わいました!人生変わりました」
「これもこれも、私に薦めていただいたお陰です!」
「とにかく、酷い状況を何十年の続けていたことに恐怖を感じます」
「夜中起きない、朝起きた時スッキリ、ベッドから起き上がる時の足腰の痛みが無くなりました」
日ごろあまりメッセージを発信しない彼から、次々と喜びの言葉が届いた。
彼は睡眠中の呼吸停止で、睡眠不足を始めとする様々な深刻な影響を身体にきたしていたのだ。
良かった。私は少なくとも彼の命を救ったと思った。無呼吸症候群から救い、彼の寿命を延ばしたことに疑いはない。
無呼吸症候群は本には自覚が乏しいまま看過されることが多い、しかし、それは心筋梗塞など致命的な病気に直結する危険な症状なのだと、私は医者に教えられていた。
自分が書き綴ってきたエッセイに、何か注目すべきことが見つかるかどうかは読む人により様々であろう。
おそらく何も見出さない人の方が多いはずだ。
しかし、私の書いてきたエッセイが、単なる体験記ではなく、目に触れた人の行動や価値観に少なからず影響を与えていた。
長い間にはこんなことも起きるのだと、改めて文章でとして書き残すことの潜在力を感じた。同時に文を書くことの責任の重さも感じた。
長い人生経験で得たものは行動モデルとして人に影響を与える可能性があること、
実体験を通して得た知識は人に伝わること。
自分を読者に見立てて好きなように綴っていても、そのような作用が働くということは、今後の私の執筆に際し念頭に置いておくべきだと思った。