宇宙を舞台にしたプロジェクトは歴史とともに大きく変化を続けている。
「宇宙探査」という未知の世界への大きな夢で始まった取り組みは、いつの間にか「宇宙開発」と名を変えて、国家威信をかけた競争の舞台を作った。そして今は争奪戦という、夢とは正反対の醜い世界へ突き進もうとしている。
宇宙探査という崇高な出発点
人類が宇宙へ踏み出した最初の一歩は、1957年、ソ連が打ち上げた人工衛星スプートニク1号だった。その後、ガガーリン少佐を乗せたボストーク1号が、人類初の有人宇宙飛行を成し遂げた。
ガガーリンの有人飛行、アポロ11号の月面着陸、そしてボイジャー探査機の惑星に向けた旅立ちへと続く一連の出来事は、国家の威信を超えて、人類共通の問いに向けた知的挑戦として輝いていた。
宇宙探査とは、未知への畏敬を前提とした真実を解き明かそうとする、雄大なプロジェクトである。
アメリカは冷戦下の緊張を抱えながらも、探査で得た知見を世界に公開し続けた。その姿勢は、私の青春期に「尊厳を湛えたアメリカ」という像を形づくり、憧れの源泉となった。
宇宙は、国家の境界を超えた「人類共通の探求の場」であった。
その時代には、宇宙を前にした人間の姿勢に、どこか誇らしい気高さがあった。
宇宙開発への転化 ──威信をかけた競争の時代
しかし、宇宙探査の背後には常に冷戦構造が横たわっていた。
二度にわたる世界大戦の末たどり着いた結果が、この二大大国の対立で、資本主義・民主主義勢力の代表であるアメリカが、社会主義圏を拡大しようとするソ連をけん制する熾烈な国家間競争が進行していた。
ソ連に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げられ、威信を失いかけたアメリカは、莫大な国家予算と人力を投下し本格的な宇宙開発に乗り出した。
それは真実の探求からは遠く離れた、開発という名の「競争」であった。
「宇宙探査」から始まった人類の宇宙への挑戦は、宇宙競争を呼び起こし、国運をかけた闘いが繰り広げられることになった。そこでは、得られる成果を求めることよりも、どちらが勝つかの威信のぶつかり合いが支配していた。
10年に及ぶ奮闘の末、1969年にアメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を成し遂げた。
米ソの宇宙開発競争はその後終止符を打ち、アメリカの勝利に終わった。
戦略的開発競争への道 ── 探求の場から争奪の場へ
競争が決着すると、やがて実用面での活用を目的とした宇宙開発に目が向くようになった。
気象衛星、GPS、通信衛星の活用は現代便利な人類の生活を支えている。資産家には宇宙旅行の機会も与えられるようになった。
宇宙を行き来する技術が大きく進展する中で、やがて宇宙資源採掘に熱い視線が向けらえるようになった。
人類は、今度は宇宙開発を巡って「早い者勝ち」を目指した争奪戦を繰り広げ始めることになった。宇宙での利権争いの始まりである。
今、各国が熱を帯びているのは月面基地の建設だ。
月の両極に存在が期待される水資源は、生命維持と燃料生成の鍵を握っている。水を確保した国は、月面活動の主導権を握ることになる。
1967年の宇宙条約は領有を禁じているが、地球上ですら平気で国際条約を破り領土を主張する国家が存在する以上、宇宙が例外であると信じるのは難しい。
月面の水を独占し、地球に照準を合わせた巨大なレーザー基地を建設する ―― そんな空想が荒唐無稽に聞こえないほど、宇宙はすでに利権の匂いを帯びている。
この先には火星基地、そしてレアアースを含む小惑星資源の争奪が控えている。
宇宙は、かつての「探求の場」から、「争奪の場」へと変わりつつあるのだ。
宇宙の崇高さはどこへ行ったのか
かつて私を魅了した宇宙探査の精神 ── 未知への畏敬、真理への希求 ──は、いまや利権と競争の影に埋もれつつある。
人類が宇宙に向かう動機は、崇高な探究心から、国家戦略と経済的利益へと静かにすり替わった。
大宇宙の前では、ちっぽけな人間の真の姿が透けて見える。
人類は、かつて真実を求める純粋な心を見せた。
探査の時代が開発の時代になると、そこは欲望の暗躍する場となってきた。
それでも私は、宇宙の静謐さの中に、かつての探査精神が再び息を吹き返す可能性を信じたい。
人類が再び「探求の前に謙虚である」という姿勢を取り戻すことを、どこかで願っている。