人犬(ひといぬ)への恋

散歩の途中で出会う犬たちの話を、いつも私のエッセイを読んでくださる方がコメントに書いてくださったことがある。

毎日の散歩で、仲良しの犬に会うのが楽しみだというのだ。

その言葉に、私は深くうなづいた。 私もまた「犬大好き人間」であり、散歩中のワンちゃんたちに出会うことが日々のささやかな喜びになっているからだ。

 

犬は一度仲良くした相手のことを忘れない。

遠くからでも私の姿を見つけると、ピンと両耳を立て、姿勢を正し、首につけられたリードをぐいぐい引っ張ってこちらに向かって来る。

近くまで来ると、今度は頭を低く垂れ、舌を出しながら、ちぎれんばかりに尻尾を振って寄ってくる。 その様子がたまらない。

 

そうされると、こちらも自然としゃがみ込む。 寒い冬でも手袋を外し、手のひらを差し出して頭を撫でる。

顔を近づけると、鼻をくんくんさせながらこちらの口元にそっと顔を寄せてくる。

遠慮がちにペロッと舐められたときなど、気持ちは天にも昇る。

 

飼い主の方に名前を聞いているので、毎回、遠くにいるときからこちらが名前を呼ぶ。

犬はそれに応えるように、嬉しそうに駆け寄ってくる。

そんなやりとりが、散歩の中に小さな物語を生み出していく。

 

ところが、あるとき私は、自分がひとつ大事なことに気を配っていなかったことに気づいた。

散歩中の自分の飼い犬に構われることを好まない飼い主がいるという事実だ。

 

ある日、飼い主の女性が連れていた大きなラブラドールレトリバーに出会った。

大きな犬だったので「噛みますか?」と尋ねると、彼女は「人が大好きなんです」と言い、そのワンちゃんの名前を教えてくれた。

見た目は大きいが、性格はその体格とは正反対で、私に身をまかせるように寄りかかり、最後には道路に寝てしまった。

「寝るからもっと撫でて」と言っているように感じられた。

飼い主の彼女は、「寝ちゃうんですよ」と言いながら、リードを強く引いてその大きな身体を起こし、去って行った。

 

私も散歩のコースは毎日変えているし、季節によってスタート時間も変わるので、そのワンちゃんと頻繁に出会うわけではない。

それでも、出会えば必ず、そのワンちゃんは大きな尻尾を右に左に大きく振りながら、リードをぐいぐい引っ張って寄ってくる。

いつの間にか、近くまで来ると、自分からべたっと道路に寝そべり、甘えた目で私を見上げるようになった。

その仕草がますます可愛くて、私はつい撫でてしまう。

飼い主は「もう~寝ちゃうんだから」と言いながら、その大きな身体を引っ張り上げて去って行く。

 

そんなことが何度か続くうちに、私はその飼い主が、私がその犬に構うことをあまり快く思っていないのではないか、と感じるようになった。

両側に歩道がある広い道路の反対側で行き違うとき、彼女は頭を下げて挨拶はしてくれる。

ワンちゃんは何度も何度もこちらを振り返りながら、今にもこちらに来たそうにしているのに、彼女はそれに構わずリードを引いて歩き続ける。

そもそも車道との間にはフェンスがあるので、横断しようと思ってもできない。

いつまでもいつまでもこちらを振り返るそのワンちゃんが愛おしくて、毎回、胸が締め付けられる。

 

そのうち、私は彼女が「いつも私がどちら側の歩道を歩くのか」分かるようになったのではないかと思えてきた。

ある日、少し離れた交差点に、私が歩いている側から彼女が現れた。

そのままこちらに曲がればこちら側の歩道を歩くことになるのに、彼女は躊躇せず横断歩道を渡り、反対側の歩道を選んでこちら向かってきた。

それを見て、私は「避けられている」と感じた。

まるで好きな彼女にさりげなく距離を置かれた男のように ―― 取り越し苦労かもしれないが、そう思わずにはいられなかった。

 

道路の反対側ですれ違うとき、彼女は軽く会釈をするだけだ。

立ち止まる私と、立ち止まろうとリードを引っ張るワンちゃんには、目もくれない。

ワンちゃんは、それでもこちらを振り返り続ける。

その背中をみて、私は少し切ない気持ちになる。

 

これが男女の恋のすれ違い物語だったら、完全にアウトだろう。

しかし、好意的に解釈すれば、人好きのワンちゃんが、好きな人に会うと道路に大きな身体を横たえて動かなくなってしまうことに、彼女はほとほと手を焼いているだけのかもしれない。

そう考える余地も、たしかにある。

 

散歩で出会う他の飼い主の中には、私と妻が飼い犬を撫で終わるまでニコニコ笑って待ってくれる人もいる。

ほとんどの人は自分の飼い犬に寄せられる好意を喜んでくれる。

犬に向けられた愛情を、自分への好意として受け取る人も多い。

 

しかし、どれほど犬が私に懐いてくれても、その犬は私のものではない。

飼い主のものだ ―― 今ではそう心に銘じている。

それ以来、散歩中に出会うワンちゃんたちを撫でるときには、犬以上に、飼い主の表情を確かめるようになった。

犬の喜びと、飼い主の気持ち、その両方を見つめながら、私は今日も散歩の途中で出会うワンちゃんたちを愛撫している。

 

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