カラスにも三分の理

早朝の散歩は、家の前の小さな林から聞こえるウグイスの澄んだ声で始まる。 時に外来種のガビチョウが騒々しく占領している日もあるが、今朝は幸いにも、思わず真似したくなるようなウグイスの歌が、寝ぼけた心を静かに洗ってくれるようだった。

 

そんな爽やかな気分のまま歩みを進めていくと、いつもの黒い連中に出会う。

朝陽のこぼれる青空をつんざくような「ガァ」という濁声。

あっちこっちで交互に叫びあい、まるで情報交換でみしているようだ。「いつもの赤い帽子の爺さんが来たぞ」とでも警戒を飛ばしているのかもしれない。


―― カラスはどうにも騒々しい。

そう思っていた昨晩、テレビでは鷹匠が鷹を飛ばし、畑や工場に寄りつくカラスを追い払う様子が放送されていた。

鷹は鷹匠に慣れ、一巡りしては腕に戻る。 まるで忠実な犬のように信頼して従う姿に、胸の奥が熱くなるほどだった。

 

猛禽類の威力は絶大で、カラスは遠くからでもその姿を見つけて飛び立つ。

繰り返し追われれば、やがてその場所には寄り付かなくなる、

だが、去ったカラスはどこかへ行く。 根本的な解決にはならない。

 

近年はクマ出没が人命を脅かし、大騒ぎになっている。

私には以前からの持論がある。

 

・ 百害あって一利なし、100%人に危害を加える害獣

 

・ 「山に返す」と言うが、山菜採りも林業従事者もいるし、登山家は山の「頂上」を目指すのだから、山に「クマの生活圏」など存在しない。

 

―― だから、クマは動物園かクマ・ランドで種の保存し、自然界からは駆逐させるべきではないか。

 

そんな極論を抱く私である。

ならばカラスも害鳥として絶滅させるべきか、と考えた。

ところが、調べてみると、意外にも人間社会の裏方として働いていることが分かった。

 

・車に轢かれた小動物の死骸をきれいに片付ける

・電線をかじるネズミや畑を荒らすもぐらを捕食する

・昆虫や幼虫を食べ、農作物を守る

・果実の種を運び、植物の繁殖に貢献する

 

確かにゴミ袋を破り散らかす困り者だが、残飯を漁るということは、他の怪しからん生き物や死骸も処理してくれているということだ。

つまり、人間がゴミの管理さえ徹底すれば、彼らは自然界の優秀なパートナーとして、私たちの環境を陰で支えている存在でもある。

 

それでも、ウグイスのように心が洗われる声とは程遠く、黒々とした姿に大きな嘴、ずる賢く知能が高い。

時に集団で人を襲うこともある。

どうしても憎まれ役だ。

群れで生活するため、場所によっては手のつけられない弊害も起こす。

 

童謡『七つの子』(カラス、なぜ啼くの~)が歌ったように「山に可愛い七つの子がある」のなら、カラスこそ山で静かに暮してほしい ――

どうしてもそう願ってしまう。

 

だが、彼らが騒々しく鳴き交わすのも、黒い瞳でこちらを値踏みするのも、すべては彼らなりの理に基づいた生き方なのだろう。

人間社会から見れば厄介者でも、自然界では役割を担い、群れを守り、今日も必死に生きている。

 

カラスにも、確かに三分の理がある。

 

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