人生で叶えられなかったことのひとつに、音大生と親しくお付き合いすることがある。 私はとにかく音大生に、一方ならぬ憧れを抱いていた。
その原点は、幼稚園時代にさかのぼる。
私の家はたまたま武蔵野音楽大学の近くにあり、付属幼稚園が最寄りだったため、迷うことなくそこに通うことになった。 先生方は皆、武蔵野音楽大学の卒業生で、ピアノ科でなくても副科でピアノは見事に弾く。 幼稚園の教室には、いつも先生が奏でるピアノの音が流れていた。
今でもお世話になった二人の女先生の顔を、ぼんやりと覚えている。
小学校に入ったばかりの頃、私はヴァイオリンを習い始めた。
先生は、近くに住んでいた武蔵野音楽大学ヴァイオリン科を卒業したばかりの若い女性だった。 三年ほどで飽きてしまい、やめてしまったのだが、「やめるのは本当にもったいないわ」と、最後まで何度も私と母に訴えてくれた。 その先生の顔は、今でも絵に描けるほどはっきりと覚えている。
思い返すと、私にとって「母性にも似た女性の優しさ」と「音楽」は、いつも重なっていた。
家でヴァイオリンの練習をするとき、毎日のように傍につきっきりで見てくれたのは母だった。
自分の心が落ち着き、安らぐことができる世界だったのだと思う。
私は幼少期から常に音楽とは接点を持って生きてきたが、何かを身につけたわけでもなく、すべてが中途半端なままだった。
中学生の頃には、熱心な音楽の先生の指導を受け、同級生三人と一緒に弦楽四重奏団を結成した。 私はセカンド・ヴァイオリンを務め、全校生徒の前で披露した事もあったが、本当にお遊び程度のレベルだった.
それでも音楽そのものは大好きで、クラシック音楽のレコードを夢中になって聴いていた。
中学生ながら、都心のコンサートホールに足を運び、潮田益子というヴァイオリニストの演奏会を聴いて感動したこともある。 私より十歳年上の世界的ヴァイオリニストで、すでに十三年前に他界しているが、あの日の記憶はいまでも鮮明だ。
こんなふうに音楽とかかわりながら生きてきた私は、いつしか音大生に強い憧れを抱くようになった。
それまで私の人生に登場した音楽家が皆女性だったこともあり、私にとって「音大生」とは当然のように女性を意味していた。
極めつけは大学生になった時のことだ。
親しくなった友人の下宿を訪ねると、彼はお姉さんと同居していた。 そのお姉さんは、近くの武蔵野音楽大学声楽科の学生だった。 二間ある部屋の片方に小さなグランドピアノが置かれ、そこで彼女の歌声を聴かせてもらったとき、私は腰が抜けそうになった。
初めて目の前で聴いたその声は耳の奥まで響き渡り、天井に突き刺さって屋根に向かって抜けていきそうだった。
普通の顔をした女性の口から、あれほど素晴らしいソプラノが飛び出してきたのだから無理もない。 器楽ばかりに親しんできた私が、声楽の素晴らしさを初めて知った瞬間だった。 音大生の住んでいる日常が、如何に別世界であるか思い知った。
結局、音大生への憧れは憧れのまま、私は大学生活を終えた。
ついぞ音大生とお付き合いする機会はなかった。
当たり前である。
彼女たちの毎日は自分の選んだ道を磨くことで埋め尽くされている。 大学卒業後の進路を考えれば、音楽家になる道は極めて厳しい。 音楽関係の就職先は限られ、そのチャンスを掴もうとすれば遊んでいる暇はない。 一般大学の学生の暮らしとは比べものにならないほど厳しい四年間を送っているのだ。
いくら憧れても、彼女たちとの接点を持つのは不可能に近かったのだと思う。
私は昔から、楽器を演奏している女性を見ると、その人の容貌にまったく関係なく、惹きつけられてしまう。
たとえ普段は見向きもしない容姿の女性であったとしても、楽器に向かい、自分のすべてをぶつけて心の中を映し出している自身に溢れた姿は、間違いなくその女性を最高に美しく見せる。
私にとって、彼女たちの魅力は、あの真剣に感性の世界に身を研ぎ澄ませる凛々しい姿だ。
女性が、女性にしか表せない、美しく緊張感に満ちた姿だ。
憧れは音大生や若い女性に対してだけ持ったものではないことを改めて知る機会があった。
妻は永年の友達からピアノを習っている。 年齢はとうに古希を超えている。
国立音楽大学を卒業後、数十年にわたり主婦業をこなしながら、さまざまな場面でピアノ伴奏を務めてきたそうだ。 一度、その方が伴奏を務める小さな歌のコンサートを見学に行ったことがある。 私は、妻とほぼ同い年のその女性の演奏する姿に釘付けになった。 演奏する彼女の凛々しい目つきと姿に、心を奪われてしまった。
身にまとった素敵なドレスの裾からのぞく脚先にはハイヒールが履かれていた。
そのハイヒールが静かにペダルを踏む動作を繰り返す、その動きが驚くほど上品だった。
七十歳をとうに越えたその姿はとても美しかった。 あの日以来、私は彼女のファンになってしまった。
私が憧れる音大生は、決して若さや美貌に惹かれたものではなかった。 あの厳しい世界を立ち向かい、凛々しい女性へと磨き上げられた、人としての姿だった。
生まれ変わったら国際線を飛ぶジャンボ機のパイロットになると決めているが、そう思ったのが四十代だったので、今世では憧れで終わってしまうのは当然だ。
しかし、憧れて、一緒に若い世代を過ごしてきたのに、憧れで終わってしまったのはなんとも口惜しい。
しかし、叶わなかったからこそ、あの憧れは私の心の中で、いつまでも美しいま思い出のまま生き続けてくれるのかもしれない。