あと10年生きれたら

朝の散歩でお馴染みの老人夫婦と今朝も出逢った。 いつも二人仲良く手をつないで毎日コースを変えて長距離を元気に歩いている。 ご主人に「仲がいいですね」と声をかけると「いや、杖代わりですよ」と答えが返って来る。 どう見ても杖代わりにしているのは、笑顔だけで言葉をほとんど口にしたことがない奥様の方に見える。

 

いつもも明るく笑顔で語りかけてくれるご主人に、今日初めてお歳を伺ったら調度私の10歳先輩だった。 想像はしていたが、はっきり10歳年上と聞いて、自分も10年後もこうして歩いているかもしれないと思えて「あと10年生きれたら文句ないですよ」と言った。 そしたらその方は「その10年が経っちゃうとあと5年生きれたらと思うんですよ」と言ったあと続けて「そしてその5年経っちゃうとあと3年と思うんですよ」と言って笑っていた。

 

妙に納得できるお話で、ふっと気持ちが楽になった。 そうやって足し算して行けばあと20年近くも生きれる計算だ。 良い着眼点だと思った。

 

この歳になって周りを見ると、寄る年波を全く気にもせず仕事に燃えている人が結構いるのに驚かされる。 90代になっても、まるで自分が不死身であるかの様に、先の事は考えずに日々前向きに頑張って仕事している人もいる。

 

早々と終活を済ませ「万全の体制」で一日一日を薄氷を踏むような思いで過ごしている自分とは大違いだ。 毎朝起きて「ああ、今日も生きていた」と思う自分との落差に愕然とする。 もしかしたら、私は極端に心配性で弱気でマイナス思考で悲観的すぎるのかもしれない。 ちょっと情けなくなる。

 

一方で、私と同様にいつも「いつまで余生を続けられるのか」憂いていたのに、結局104歳まで元気で過ごされた知人もいる。 幾つまで生き延びれるかは神のみぞ知るのであれば、先の事は考えずに日々前向きに暮した方が良いと言う理屈は良く分かっている。

ある調査によると、人生を自分の為だけに生きて来た人に限って、70歳を過ぎると過去を反省し悔いるらしい。 まさに我が身の事なので、それを知った時にはドキッとした。 多分今の私の「弱気」はその延長にある「報い」なのかもしれない。

 

私が、全力疾走体制から余生のカウント・ダウン体制に切り替わったのは70歳を過ぎた頃からだった。 最初のきっかけは、70歳を節目に明らかに体力が低下し始めたのを感じた事だった。 体力も、筋力も、視力もだ。 これは私が続けていた個人事業から撤退する決心をさせるきっかけにもなった。

 

更に私を追い込んだのは私の尊敬すべき父が他界した72歳がいよいよ迫って来た時「あの偉人たる父が許されなかったのに、こんな私が父より長生きする事が許されるはずがない」と本気で思った事だった。 妻に笑われたが、71歳からは72歳の誕生日まで毎日カウント・ダウンをしていた。

 

父が他界した歳を超えてからは、一歩一歩確かめながら踏みしめるようにして歩いて来ている。 どこで歩みが途絶えてもおかしくないとの思いがあるのだろう。 一歩一歩が貰い物だと感じて、神様に感謝している。

 

私は「あと10年、あと5年、あと3年」と考える生き方が気に入った。 あともうちょっとでいいからと一度には欲張らず、だけど何時までもあきらめずに可能性を求めている姿がいい。

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