沈黙を形づくるもの
私の過去には、声を上げて語ることをためらう出来事が少なくない。
言えない話と、言わない方がよい話、そして言いたくない話。
それらは形を変えながら私の沈黙をつくり、今の私という人間の輪郭の一部を形づくっている。
過ぎ去ったことを云々しても、そこから新しい何かが生まれるわけではない。
むしろ、人はすべてを晒すより、何か覆い隠しているものを持っていた方が魅力があるという側面もある。
さらに言えば、自分の持っているすべての材料や弱みを見せないことは、正義に反することではない。尋ねられたことに嘘をつくことは誠意に欠けるが、自分の心の片隅にしまって置くことは罪ではない。
沈黙は、弱さではなく、ひとつの秩序でもある。
その秩序の裏側には、必ず理由がある。私はその理由を探るために、ヴェールの裏側へ視線を向けた。
ヴェールの裏側にあるもの
私は前向きで個性的な生き方をしてきたと思うが、その陰では多くの間違いも犯してきた。そのぶん、ヴェールの裏にしまい込んできたものも多い。
過去を振り返ると、言えない話や、言わない方がよい話、言いたくない話の中にこそ、自分が克服すべきであった問題が潜んでいることに気づく。
語ろうとしない過ぎ去った話にこそ、自分の間違いの痕跡が残っている。
私はいつも心の中でそれらを思い出し、自分との間で善悪をめぐる問答を繰り返している。
私が心の中で繰り返してきた問答は、薄れる記憶を呼び戻しながら問い続ける営みだ。自分の判断が他者を傷つけていたかもしれないという不安が胸をかすめ、過去の自分が放った一言や、踏みとどまるべきだったかもしれない一歩が、今の私に問いを投げかける。あれは本当に正しかったのか、もっと別の選択があったのではないか ―― 私はそんな心の声を、必死になって聞いている。
そうした問答を重ねるうちに、私はその矛先を他者ではなく自分自身へ向けるべきだと悟るようになった。
自分自身に対して外すヴェール
今の私が大切にしていることは、自分自身に正直であることだ。
他者へ対して覆ったヴェールはそのままでよい。
しかし、自分自身に対してはすべてのヴェールを取り去り、自分の軌跡を正面からしっかりと見続けなければならない。
自分が自分のすべてを隅々まで見ることができなければ、前進はない。
神仏に向き合ったり、日常的に自分を振り返ったりする行為を続けるのは、自分の真の姿に迫り、自分が自分自身に対してどう決着をつけるのか、その一歩一歩を探るためである。
自分に向けてヴェールを外し続ける営みは、やがて変えられない過去と向き合いながら心だけは変えられるという確信へとつながっていく。
変えられない過去と、変えられる心
人間は、どこかみっともないものだ。
絵に描いたようにはいかないし、過ぎてしまった過去はもう変えられない。
対外的に残してしまった間違いはもはや修正できない。
しかし、自分の心の中は変えられるはずだ。
せめて、そのみっともない過去の痕跡を事実として受け容れ、
自分の心をできる限り綺麗に整えていきたい。
綺麗になったら、どこかで誰かの心に、ほんのわずかな温もりとして触れることもあるかもしれない。