五十年ぶりのヴァイオリン ―― 下手でも沁みるマイウェイ

これは決して卑下ではなく、本当に下手な私のヴァイオリンの話である。

 

私が初めてヴァイオリンを手にしたのは、小学二年生のころだった。父の知り合いが、不要になった子ども用のヴァイオリンを譲ってくれ、それをきっかけに習うことになった。

 

家の近くの、下宿のような建物の二階で、若くて綺麗な女性の先生が教えていた。すぐそばに武蔵野音楽大学があったから、おそらくヴァイオリン科の学生だったのだろう。先生は熱心に指導してくれ、家ではピアノの素養があった母が、ほとんど付きっきりで練習を見てくれた。

 

しかし私は、小さいころから熱しやすく冷めやすい性格だったらしい。父に「やってみるか?」と声をかけられたときには二つ返事で飛びついたものの、二、三年ほど経ったころには「やめる、やめる」と泣いて訴えたという。先生は「すごく上手なのに、やめるのはもったいない」と何度も慰留してくれた。その言葉を覚えているくらいだから、少なくとも途中までは順調に上達していたのだと思う。

 

中学生になると、誰もが高校受験の科目ではないからと軽んじていた音楽を、私は妙に真剣に勉強するようになった。買った問題集でわからないところがあると、何度も職員室に通って音楽の先生に教えを請うた。音楽の先生とはすっかり親しくなり、ヴァイオリンやチェロをたしなむ同級生とともに声を掛けられて、弦楽四重奏団を組むことになった。

 

私は、子どものころ中途半端なところでヴァイオリンを放棄したため、技術は心もとないままだった。セカンド・ヴァイオリンのパートを、なんとかこなすのが精一杯だった。幸い、成人用の楽器は学校の備品を貸与してもらえたし、メンバーの一人は現役で修業中のベテランで、彼にも教えを請いながら、どうにか形になる程度には弾けるようになった。

 

その弦楽四重奏団は、学校の何かの記念祭のときに講堂で全校生徒の前で演奏する機会を得た。拙いながらも、仲間と音を重ねる体験は、子どものころの個人レッスンとはまったく違う喜びだった。

 

三年生の三学期、卒業を控えた最後の音楽の授業で「歌でも笛でもよいから、何かを全員の前で発表する」という課題が出された。ほとんどの生徒は歌を選び、習っているピアノを披露した者もいた。私は音楽室のステレオで「マイナス・ワン」というレコードをかけ、ヴァイオリンでベートーヴェンのメヌエットを演奏した。マイナス・ワンとは、ヴァイオリンのためのいわば「カラオケ」で、オーケストラの伴奏だけが収録されているレコードである。当時としてはほとんど知られておらず、教室にいた全員が目を見張った。

 

演奏を終えると、音楽の先生は目に涙をいっぱいため、「ね...ね...」と、涙を浮かべた目をぱちぱちさせながら、言葉にならない声を漏らした。その嬉しそうな表情は、今でも鮮明に覚えている。あの瞬間、私の拙いヴァイオリンが、誰かの感情に触れたのだと初めて実感した。

 

それから五十数年間、私はヴァイオリンに触れることはなかった。


昨年の春、仕事から完全に足を洗い、ようやく「自由人」と呼べる状態になったとき、思いがけない転機が訪れた。妻が、自分の友人である元音大生の主婦に習いながら、かつて子ども用に買った古いピアノを弾くようになったのだ。彼女が弾いていた「マイ・ウェイ」の旋律が、私の心を強く揺さぶった。「マイ・ウェイ」は、かつてカラオケに夢中になっていたころ、私が最も得意としていた歌だったからである。

 

たまたま帰省していた息子と一杯やりながらその話をしたところ、酔った勢いもあって、彼は「メルカリ」で中古のヴァイオリンを探し、プレゼントしてくれた。こうして私は、五十数年ぶりにヴァイオリンを手にすることになった。

 

しかし、楽器を再び構えることは、想像以上に難しかった。音を出す以前に、肩の上に楽器をしっかり載せることすらできない。痛みや滑りが邪魔をして、安定した姿勢が保てないのだ。肩当てという小さな道具ひとつにしても、何度も買い直すことになった。

 

それでも、試行錯誤を重ねるうちに、二か月ほど経ったころには、どうにか「マイ・ウェイ」を通して弾けるようになった。酔った勢いで口にした、妻のピアノとの合奏も、現実のものとなった。

 

ところが、話はそこで終わらなかった。私は高校時代、トランポリンから落下した際に首の骨を痛めたことがあり、その古傷が、ここにきて本格的に悪さをし始めたのだ。これまでも首の痛みはあったが、最近は右腕が少しずつ不自由になってきた。特に指が自由な形を作れず、突っ張ったようになるため、ヴァイオリンの弓を正しく構えて保持することが難しくなってしまった。

 

冬の寒さも重なり、年末にはとうとう演奏を断念した。「もはやこれまでか」と思い、悔しさに涙がにじんだ。五十年ぶりに取り戻しかけたものを、また手放さなければならないのか ―― そう感じた。

 

そして今、夏を迎え、手が寒さでかじかむこともなくなったので、「もしや」と思い、半年ぶりに楽器を構えてみた。恐る恐る弓を持ち、音を出してみる。驚いたことに、なんとか弾けるのである。若干の不自由さは残るものの、「マイ・ウェイ」を二、三回続けて弾くことができた。

 

階下では、妻が台所仕事をしながら、こちらの様子をうかがっていた。邪魔をしてはいけないと、階段を駆け上がりたい気持ちを抑えていたそうだ。曲を弾き終えたとき、私は静かに楽器を置き、「良かった」とだけ心の中でつぶやいた。

 

もしかすると、夏の温かい時期にしか弾けないのかもしれない。それでも、私には十分だ。むしろ、訓練を重ねれば、冬でも弾ける可能性があることの証拠を得たのかもしれない。

 

私とヴァイオリンの付き合いは、人生のどの時期においても、決して「まともなレベル」に達することのなかった歴史である。だが、私はバイオリニストになるわけではない。一人の音楽愛好家である。

 

音程を外し、汚い音を出すこともある。それでも、自分の手で音楽を奏でられることは、やはり嬉しい。まして、生涯の伴侶と、つたないながらも合奏ができるのであれば、それこそ「人生の詩、マイ・ウェイ」である。

 

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