自分の事を特に社会性が強い人間だと思った事はなかったのだが、仕事をやめて以来、特に最近になって「社会から離脱してどうでも良い存在になってしまった」と言う孤独感や寂しさを感じる事が増えた。
一人の人間が生まれてからどのように社会と関わって行くのか考えてみた。 生まれた直後は母の腕の中だ。 母親が自分の世界の全てだ。 初めての社会との接点は幼稚園だ。 孫達を見ていても、赤子同様の幼児が保育園や幼稚園に通うようになった途端、急激な成長が始まったのが分かる。
母親や父親と一緒の世界とは別に、先生や友達に囲まれてお互いに影響し合う新しく知った世界が、最初に体験する「社会」だ。 今まで話さなかった言葉を喋り、出来なかったりしなかった行動をして親を驚かせる。
人里離れた世の中と隔絶された環境や、閉鎖的で限られた人間だけが生きる特殊な環境で育てられ、バランスを欠いた極めて不自然な人間として成長してしまったと言う事例が報道された事が過去にあった。 やはり社会の中で人間は成長し生きて行くものだ。
しかし、社会から学習した事だけで一人の人間が形成されていく訳ではないと思う。 そもそも人間は「先天性」を持って生まれて来る。 私は、子供を無理に叱ったり指導したりしてもどうにもならないと思っている。 それはどんな子供であるか、どのような子供に育つかは、ほとんどが持って生まれた先天的な物で、その本質は修正出来る物ではないと思うからだ。
成長する過程で、自分を取り囲む社会の影響を受けて色々学んで行くのだが、最も学習しその人間形成に影響を与える時期は思春期と呼ばれる10年間程度だろう。 それでもそうやって身に付ける後天的な物が、持って生まれた先天的な物を消したり上回る事は大変難しい。 そしてそれ以降は何年経っても人間性その物が変わる事はない。 社会の影響を受けて物の考え方が変わる事はあっても、人間性はもう変わらない。 私はそのように見ている。
自分を育ててくれた社会は、その後は自分と言う人間と関わり合いながら、自分ならではの生き様を演じる「舞台」となる。 「人生劇場を演じる舞台」だ。
ところが、歳をとって仕事から離れると、突然「舞台」を失う。 突然居場所を失うのだ。 「いったい何処で演じたらいいのか?」と思うのだが、もうそんな役回り自体がなくなっているし、もはや周りは誰も演技を期待していないのだ。 これこそが、私が感じる孤独感であり虚しさなのだ。
多くの人がボランティア活動を始めたり、例え僅かな給料であっても仕事を始めようとするのは、どんなに小さくても社会と接する事ができる「舞台」が欲しいからだろう。 そこで細々と人生劇場の続きを演じるのだ。
世の中には色々な芸術的作品を「創作」している職人と呼ばれる人もたくさんいる。 社会に縛られず自分のアトリエなり作業場を「舞台」として、生涯亡くなるまで作品創りを続けて行ける幸せな人達だ。
さて、私が柄にもなく文章書きをnoteで始めたのも、ネットの上に「舞台」を求めたからだ。 文章は不得手でも、やってみようと思い立ったのは、書く事で得られるものと言った精神的な動機以外にちょっと理由があった。 ひとつは作業するパソコン環境が立派に整っていた事だ。 そしてもうひとつは、毎記事に貼り付けているカバー写真に活かせる素材がたくさん手元にあった事だ。
スナップ写真もあるが、ほとんどは私がタイムラプス・フォトグラファーとして撮影して来た想い出のタイムラプス映像の一コマだ。 閲覧した人にどこまで関心を持って見て頂けるのか分からないが、私にとっては人生の宝物のひとつだ。 32台ものハードディスクに保存したこの資産で私の「舞台」を飾れると言うのはとても嬉しい。
人間は生まれて最初に母の腕に抱かれ、社会の中で揉まれて過ごし、最後は一人になって去って行く。 私がこの期に及んで「舞台」に情熱を傾けているのは、恐らく一人になるのが怖くて、最後までなんとかして社会とつながっていようとあがいている証左だと思う。